融(とおる)神社

光源氏のモデルになった源融を祀った神社へお参り。

滋賀県大津市伊香立の融神社へお参りする事に。

新幹線で京都駅からJR湖西線に乗って堅田駅まで乗車。

堅田駅から伊香立循環バスに乗って南庄バス停で下車、地図アプリに従い15分ほど歩くと融神社が見えてきます。

バスは本数が少ないので、自動車で参拝するか、堅田駅前でレンタル自転車を借りるのもおすすめ。


この日は時雨ていたのですがそれにより神々しい雰囲気に。

舞台


祭神は源融、光源氏のモデル


大原全子(おおはらのぜんし)(源融の母)が隣に祀られています。


源融は嵯峨天皇の皇子ですが、母の見分が低いことから臣籍降下し源姓になります。

その後、左大臣にまで出世、美男子だったとされています。源融が住んでいた京都の邸宅「河原院」は4町(約4ヘクタール)あり、光源氏が住んでいた「六条院」モデルとなっています。

源融の別荘「栖霞観」は現在の清涼寺(嵯峨釈迦堂)(京都市右京区)、源氏物語の松風で出てくる嵯峨野の御堂の事です。


10円玉でお馴染みの平等院鳳凰堂(宇治市)も元は源融の別荘があった場所で、宇多天皇、敦実親王(宇多天皇の子)、源重信(敦実親王の子)、そして藤原道長の手に渡り後に頼道が鳳凰堂を建てる事になります。

百人一首では河原左大臣として登場しています。風流人であり、歌人としても優秀な方の様です。

伊勢物語にも登場しています。

平安時代の華やかなイメージの世界には欠かせない人物といえます。


そんな華やかな源融ですが、祀られている融神社はそんな華やかさとは縁遠い場所。

源融の荘園がこの地にあったので晩年この地に閑居したそうです。


比叡山焼き打ちで焼失したりで、現在の社殿は平安時代の物では無いようです。


摂社









この歌碑は融の歌ではなく、融神社に勅使が参向の折に当時の式部卿が歌ったもの。


ちかひてし 公葉の末の 世々かけて すべらのこの処 まもれこの神


いつの時代までもと公に誓い合った様に 天皇の血を引く方の関係したこの地、この神を守り続けなさい



華やかな京都でなく、滋賀の静かな場所に母と並んで祀られていますが、寂しい場所というより穏やかな場所という雰囲気で優しい気持ちになりました。


神職さんは常駐していないので御朱印は小椋神社(滋賀県大津市仰木)でいただけるそうです。