こんにちは、久しぶりにブログを書きます。
前回の投稿2018年の11月から何をしていたかといいますと、
私はこれを形にするために動いておりました。
今日は、この本ができるまで月日の川をさかのぼって、ブログを書きたいと思います。
(※印の文章はその時期に感じていた心中です)
■2018年11月~2月
2018年11月、JWの谷野さんに渡辺さんの伝記本を書きたいと相談しました。
谷野さんから親族や関係者の承諾を得た連絡が来たのは1月下旬でした。
※書くと決めたのに揺らいでいた時期。
承諾が下りた連絡を受け取った時、嬉しい気持ちの反面、取材をどう進めたら良いか不安だらけ。
取材のコツが書かれた本を読んだり、知人に相談したりもしました。
■2019年3月~8月
本の構成内容を考え、並行して関係者に取材を始めました。
最初の取材者は渡辺さんの奥様の麻衣さん。
仕事終わりの取材であったため終了後、急いで帰宅する背中に強く生きる母の姿が見えました。
↓写真は取材させていただいた方々。ほんの一部です。
※たくさんの人とつながった時期。
3月から始まり6月に終わった取材対象者は17名。皆さん快く取材協力をしてくれました。
やはり思った通りです。取材が順調にできたのは渡辺さんの人柄が大きかった。
偶然に取材できた日には、渡辺さんが会わせてくれたのかも、なんて思ったり。
日本だけでなく、サンディエゴに住むクリスさんにも協力してもらいました。
執筆期間は2か月。休日はもちろん、翌日仕事でも夜中まで執筆。
遊びや人と会うのも控え、執筆中心の生活も楽しかったな。
限界を作らない。前に進む。手を動かせ。と自分にムチを打ちながら、書いてたっけ。
■2019年9月~12月
出来上がった原稿を取材した方に確認してもらう作業をしながら、商業出版するために出版社に売り込み。
出版コンサルタントにお願いをしましたが、結果は全滅。気持を切り替えて自費出版で出版すると決意。
作るならカバーや写真選定、本文レイアウトなど印刷と編集以外、プロを入れずに好きに作りたい。
「彼はずっと本を出したかったんです。だからすごく喜んでいると思います」
と妻の麻衣さんから話を聞いた私は、出版日を誕生日である6月13日に決めました。
↓昨年6月13日渡辺さんの誕生日取材に最後まで見送ってくれたJWスタッフ
※少し落ち込んだ時期。
出版社の編集から滅多切り。「著者、主人公の認知度が低い」「三千部も売れない」
「本屋に置かれていてもお客は手に取らない」「内容は面白いが文章が下手」
そうですよね。仕方がないと思いましたが、プロが書いていれば本屋に並んでいた。
私の実力があれば出版できたかもしれない。
悔しいけどそれが現状、と少し落ち込んだ日もありました。
■2020年2月~6月
原稿の編集はプロの方にお願いしました。
赤ペンで染まった原稿を手にして、『もっと良い本ができる!』と修正をしながらわくわくしていた私。
今回は私がゲラを――。
ゲラとは原稿を本のレイアウト上に文章を落とし込んだもの。
ゲラを作成する専門のDTP(組版)がいますが、今回は思い切って私がゲラを作りました。
カバー作成はJWのデザイナーの山本さん。
山本さんにはカバー用紙から見返しの色、本文用紙まで装丁を担当してもらいました。
※意外と大変だった時期。
原稿はWord作成が一般的だが、ゲラはインデザインというソフトを使っての作業。
行数、文字数、フォント、写真挿入、キャプションなどを設定するために、見本となる本を決めて制作。
編集から帰ってきた赤ペンを、自分が作ったゲラデータに直接修正。
著者がゲラをいじれるっていいけど、悪い部分もあったりする。修正をしていくときりがないのだ。
原稿締め切りもまだ大丈夫、なんて思っていたら結局、印刷入稿までギリギリだった。
印刷所にゲラを入稿したのは発売日の10日前のこと。
印刷入稿期限過ぎても修正をしていたので、出来上がった本を未だに怖くてミスがあると思うと読めない。とほほ。
という前回のブログから今までの出来事です。
『限界なんてないんだ! KNOW NO LIMIT』
発売から1か月が経ちました。
渡辺さんを知って欲しい、忘れないで欲しい。
再歩行を目指している脊髄損傷や、その人たちを支えている人たちがいる。
もっともっと広がって欲しい。
脊髄損傷者の明るい未来のためにも……。
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