前回のお話

 

 

小さな家族として、

黄色いセキセイインコと

暮らしていたことがあります。

 

振り返ると、

ルチノーという種類だったのかな。

 

親戚の家で飼っていた

セキセイインコが繁殖し、

わが家に来たと後から聞きました。

 

名前は、

ピーコ(男の子だけど笑)とルル(女の子)。

 

先にピーコがいて、

後からルルがやって来た記憶があります。

 

同じケージで暮らしていましたが、

あまり相性は良くありませんでした。

 

先住のピーコは、

父の足のかかとが大好きで、

かじりついていました笑

 

痛がる父と、

何度もかかとを狙うピーコ。

 

そのやり取りは、

恒例行事のようでした笑

 

「ピーコちゃん」

 

などとお喋りもしていました。

 

当時の私は、

インコが喋ることに衝撃を受けました。

 

言うことを聞かない私を、

母によく叱っていたのですが、

 

ピーコは、その怒る声まで

真似するようになっていました。

 

何を言ってるかは聞き取れないけど、

母の口調そっくり笑

 

それが面白くて、

家族みんなで笑っていました。

 

 

私もお世話をしていて、

ケージの掃除や、

ご飯、お水の交換などをしていました。

 

 

ある日のこと。

 

ピーコの様子がおかしいことに気づきました。

 

羽を膨らませて、

じっとしています。

 

私は母に、

 

「ピーコが具合悪そうだよ。」

 

と伝えました。

 

 

その後、どういう処置をしたのかは、

まったく覚えていません。

 

ほどなくして、

ピーコは虹の橋を渡りました。

 

とっても悲しくて、

大きなショックでした。

 

そのとき母に言われた言葉は、

今でも心の奥に残っています。

 

 

「ちゃんと見てあげてたら、

こんな事にならなかった。

あんたが◯したようなもんだ。」

 

 

その言葉を、

私はそのまま受け止めました。

 

 

 

私のせいで、

ピーコが亡くなってしまった。

 

私がもっと、

早く異変に気づいていたら

助けられたかもしれない。

 

ピーコを失った悲しみと、

母の言葉。

 

その両方が、

ちいさな私には重すぎました。

 

 

そのとき、

私は心に決めました。

 

もう二度と動物は飼わない。

 

私に飼う資格なんてない。

 

 

母の言葉は今でも忘れられません。

 

でも大人になった今は、

母の気持ちも少しわかるような気がします。

 

出張が多い父。

 

内職をしながら、

ワンオペで私たちを育てていた母。

 

言うことを聞かない私に、

ストレスも多かったと思います。

 

母の悲しみも、

行き場がなかったのかもしれません。

 

後になって母は、

 

「あの頃は余裕なんてなかった。

毎日必死だった。」

 

そう話していました。

 

 

 

ですが、

悲しみはこれだけで終わりませんでした。

 

 

ピーコと同じケージで暮らしていた

荒鳥のルル。

 

仲が良いようには見えませんでしたが、

ピーコがいなくなってから、
目に見えて元気がなくなってしまいました。

 

ルルも寂しかったんだと思います。

 

その姿を見るのも

つらかったです。

 

 

ある日、放鳥していたルルが、

 

9階のベランダから

飛び立ってしまいました。

 

クリッピングしていたので、

遠くまでは飛べません。

 

後から聞いた話では、

猫に襲われ、

命を落としてしまったそうです。

 

 

こうして、

小さな家族は立て続けに

いなくなりました。

 

残されたのは、

空っぽのケージだけ。

 

今でも思い出すと、

涙がこぼれます。

 

 

当時の小鳥の飼い方は、

今とはずいぶん違っていました。

 

鳥の医療も今ほど進んでいなかったし、

ペレットも一般的ではありませんでした。

 

羽をクリッピングすることも、

ごく普通の時代でした。

 

 

 

この出来事をきっかけに、

 

私は

 

「もう動物とは暮らさない」

 

そう決めて生きてきました。

 

2019年の、ある日までは。