世の中sexが全てではない。
sexが気持ち良いからといって結婚して一緒にいられるかどうかは分からないし、sexができないからといって結婚しないかというのも分からない。
付き合う相手。
sexする相手。
結婚する相手。
全て一緒の人もいれば、全て違う人もいる。
倫理的に見れば、生産性がなく生物的に間違っている・・・という考えもあるだろう。
多様性とは、性別や年齢、国籍、障がいの有無、性的指向、宗教・信条、価値観などが異なる人々の属性を尊重する考え方。
しかし、多様性が求められる社会と耳にする機会が増えた今は「誰が何をしても許される社会」ではない。
他人の生き様に口出ししない深慮の気持ちを持つことだ。
対人間。
どうしても受け入れがたい相手もいるし、好きになろうが嫌いになろうが自由だ。
立場、関係、環境も人によって様々だろう。
けれどそれは他人に対して迷惑をかけていい理由にはならない。
責任が取れるから何をしてもいい、というのも違う。
この考えは性善説寄りであるためある種の危険も孕んでいるが、基本的に人は「人になにかしてもらったらなにかを返したくなる」性質がある。
信頼関係を作るために、与えてもらうのではなく、自分からなにかを「したい」と思う気持ちが相手への思いやりにつながるのではないか・・・というのが、根本的な私の考えである。
しかしながら、世の中にはそんな気持ちを持った人間を踏みにじる人間もいるから注意しなければならない。
「この人なら大丈夫」という人を見る目や考え方を養っておくのも、多様性を求められる現代では大切なことかも知れない。
一概にこう、とはいえないけれど