一周忌も終えたので

また少しづつ書いていきますニコニコ



2022年12月10日

まだ月が綺麗な時間

明け方に父が亡くなり

先生や看護師さんも帰り、夜が明けた。


ゆっくりする暇はなく

祖母をショートステイに送り届けたり

葬儀の打ち合わせや諸々の準備、片付け

次々に顔を見に来てくれる

近隣の方々への応対予防


皆さんが父とのエピソードを

思い思いに語ってくれて

涙を流したり、笑ったり、悔しがったり

声をかけてくれたり…

何だかじーんとしてしまった悲しい


父を最期まで看てくれた

クリニックの先生や看護師さんからも

温かいLINEが届き、さらに悲しい


末期がんにしては、顔色もよく、ガリガリに痩せてしまったわけでもなく、本当に寝てるだけみたいだった。

10キロ以上は痩せたけど、ほどよく普通体型になり泣き笑い

顔もステロイドでぽっちゃりしてたから、普通にシュッとしたくらい知らんぷり


亡くなってから時間が経つごとに

肌艶もよくて、血色もよくなる。


吐き気や頭痛や…死に対する不安

苦痛を緩和できない部分もあったけど

最後の1日は自分から眠って

穏やかな最期だったって、言えるかな。


だからこそ

もっと早く、1ヶ月早く

在宅医療に移行できていたら

穏やかな時間が、もう少し長く送れたのかも。


意識があるうちに………が

間に合わなかった人や、物事が減らせたかも。


でも、タイミングがよかったから

そのタイミングだったから

受け入れてもらえたんだし……

おかげで、在宅医療(緩和ケア)を

受けることができたんだから……


きっと、必然だった??



本題へ戻り。


葬儀までに私に課せられた仕事は、司会者に渡す「父のプロフィール」を書くこと。


仕事と、人柄、趣味については私はあまりわからないので、父と親しかった従兄妹たちから情報収集指差しスター



以下、記録用。


・生年月日

昭和25年 2月17日生まれ (満72歳)


・仕事
土木施工管理技士 幅広い分野で工事責任者として決して仕事に妥協することなく活躍していた。どの現場でも一目置かれていた。

・人柄
とても几帳面で、自分にも他人にも妥協しない(それを自分勝手とも言うのでは泣き笑い
仕事や趣味には決して妥協することなく細部までこだわり追求していた。(とにかく妥協しないってことね泣き笑い我儘だね!!
気分屋でたくさん怒られたけど憎めず、切り替えが早く、冗談を言って笑わせてくれた。
面倒見がよく子供が好きで、子供たちに冗談を言うのが好きだった(だからこそ…私は子どもを産んであげられなくて、本当にごめんね悲しい
気分屋だったので時には緊張が走り空気が凍りつくこともあったが、すぐに冗談を言って場を和ませていた(気分屋エピソード2回目泣き笑い迷惑だね!!
威勢がよく、人には慕われる人だった。
(そう、我が道をゆくのに、不思議と慕われる人だった泣き笑い

・趣味 楽しんでいたこと
海釣り、渓流釣り、バイク。
最近は庭でBBQや、燻製作りが ブームだった。
お刺身や珍味が好きで、酒盗や塩辛をよく食べていた。
肉(ジビエ)も好きでよく 食べていた。
ポケモンGOにはまっていてレベルMAXだった(この情報、いる泣き笑い!?)
TVが好きで、よく見ていた。 
琴風豪規の「まわり道」が好きで、十八番だと言っていた(病床でそう語る。YouTubeを流すと、口ずさむ。知らなかったわ泣き笑い)演歌が好きだった。
とにかくタバコが大好き!愛煙家だった。
(ひとときもタバコを吸わずには居られないひと。亡くなる数日前まで吸ってた真顔

・心に残るエピソード よく話していたこと
 飼っている犬(ビーグル)をとてもかわいがっていて、時にイタズラには本気で怒り、 怒ったあとにはポケットからたくさんおやつをあげていた(ポケットにはいつも犬のおやつをしたためて泣き笑い
病床からも名前を呼んで、 嬉しそうにおやつをあげていた(縁側に手が届かないからマジックハンドを駆使泣き笑い)優しい笑顔を向けていた。
叔母(妹)や、そがの家族とも親しく懇意にしていて、自分の家族だけではなく、甥・姪やその子供たちからも「父さん」と呼ばれて皆の「父さん」として 慕われていた。

・遺族から故人に伝えたい言葉
本当にお疲れ様でした。そして、ありがとう。
頑張って生き抜いてきた人生、そちらでは36年ぶりに〇〇さん(妻)と再会して、2人で仲良くゆっくりと過ごして下さい。
 天国へ行っても皆に冗談を言って、陽気に笑っていて下さい!
いざ再会したらおじいちゃんになっててびっくりだよね泣き笑い!!

叔母より。


2022年11月1日〜12月10日までのことは、また後日、纏めよう知らんぷり花

1年経って、同じ季節を辿り、
同じではない時を生きてる、11月。