※ちょうど1年ほど前に書いた記事の再掲です。
今、身近でこのような状況があり、私の大切なひとが渦中にいるので、改めて。

ねこマンガ「さいごはおうちで」「おうちにかえろう」の↓


たんぽぽ先生こと、永井康徳先生(医療法人ゆうの森)のYouTube
「たんぽぽ先生のおうち看取りチャンネル(現 在宅医療チャンネル)」より

緩和ケアと在宅医療の導入時期は?というテーマの動画↓



緩和ケアは、治療ができなくなった時から始めるものではない、最期に受けるものではない、ということ。

そして、在宅医療も。

全部、最後の最期に受けるものじゃなく

最期までの時間
どうやって過ごしていくのかを
考えられる、決められるうちに告知もできたらいいんじゃないかなと思う。

命と向き合う時間があり過ぎるくらいが、いいんじゃないかなと思う。

緩和ケア=最期
じゃない。

父がお世話になった在宅緩和ケアクリニックの先生も「緩和ケアの誤解」としてこう綴られていて↓

藤野在宅緩和ケアクリニックは在宅緩和ケアを中心に据えた診療所です。

全ての人の人生は限りあるものですが、そんな限りある時間をたとえ病気があったとしても穏やかに過ごせるように支える診療所です。

その「緩和ケア」という言葉に「末期になってから受ける医療」という大きな誤解があります。残念なことに、医療者にもこの誤解があるために、「まだ緩和ケアは早いよ」という言葉で紹介の時期が遅くなってしまうことがよくあります。

確かに、人生「最期」の時を不安なく上手に過ごせるように体とこころを支えていくという事は緩和ケアの大切な柱であり専門としている分野です。でも、もう一つ大事な役割が緩和ケアにはあります。それは、「今」という時、実際に家族や友人と生活をしているこの「今」というその時々を、穏やかに過ごせるように支えていくという役割です。理想を言えば、生命を脅かす疾患と付き合うことが判明した時から緩和ケアの関与が始まります。

緩和ケアが関与する時期が早くなることで、化学療法などを行っている担当医と連携をとりながら緩和ケアも早い時期から関与することで、上手に過ごせる時間は長くなるのだろうと考えます。

最後にWHO(2002年)の緩和ケアの定義を示します。

「生命を脅かす疾患1)による問題に直面している患者とその家族2)に対して、疾患の早期より3)、痛み、身体的問題、心理社会的問題、スピリチュアルな問題4)に関して評価を行い、それが障害とならないように予防したり対処したりすることでQOLを改善するためのアプローチである。」

注1):癌だけではなく、肺炎や心疾患、老衰なども対象ということ

注2):患者だけでなく、家族のつらさも取り除くように支援するということ

注3):末期になってからのケアではないということ

注4):体のつらさだけでなく、心のつらさも一緒に考えていくということ


私もそうであったように、まだまだ誤解があるから「緩和ケア」と聞くと身構えてしまうのかも知れない。

「まだ早い」とか「もう遅い」とかないように、必要なひとに必要なタイミングで

支え、寄り添う、人をしあわせにする医療が届きますように。


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でも
それは「在宅医療」や「在宅看取り」を望むひと、本人や家族の話であって

どこにも行き場所がなく、受け入れ先がなく、やむを得ず在宅を選択せざるを得ないひとも居るってことも知った。

そして
家族にかかる精神的、身体的負担はとても大きいということ。
容易ではないと思う。
勇気や覚悟、が必要なこと。

なので
在宅看取りをしたこと(できたこと)や
しなかったこと(できなかったこと)が
どちらが正解とか間違いとかにはならないように

最期を迎える場所が自宅でも、施設でも、病院でも、ホスピスでも

本人、家族、まわりのひと含めて「これでよかった」と、望むかたちになればいいなと思う。

最期を受け止めてくれる場所や、ひとは必ずあるから、正しく、やさしく繋がればいいな。