☆2015.12.1
☆こんな極彩色の庭が見れるんだとポスターを見ながらわくわく↑
☆奔龍庭(ほんりゅうてい)↑
白砂を雲海に見立て、天空を自在に奔る龍を石組であらわした平成の枯山水。龍の頭部と
背中付近にそびえ立つ石柱はかつて井戸の部材として使われていたもの。端に開けられたいくつもの穴にその名残を見つけることができる。荒く切り立った石柱は龍の周囲に光る稲妻をも表現し、庭園全体に躍動感を与えている。通常、庭園の境界を示すために配されるはずの留め石は置かれずにこの庭園はあえて未完のままとされている。庭園を見る者がその余白を埋め、それぞれの心のなかで完成させることを期待した作庭意図だろうか。HPより
☆十牛の庭↑
牛を追う牧童の様子が描かれた「十牛図」を題材にして近世初期に造られた池泉回遊式庭園。周囲の山々を取り込んだおおらかなつくりは尼寺として長い歴史を持つ圓光寺の家風そのもの。庭園南側には洛北最古の泉水、栖龍池があり、先人たちはここからの眺めを絶景として褒め称えたという。十牛図に描かれた牛とは、人間が生まれながらに持っている仏心をあらわしている。牧童が禅の悟りにいたるまでの道程であり、懸命に探し求めていた悟りは自らのなかにあったという物語だ。修行道場としてこれまで多くの雲水たちが参禅の日々を過ごした圓光寺。厳しい修行のなか、雲水たちは僧堂の前に広がるこの庭園をどのような
心持ちで眺めていたのだろうか。HPより
☆応挙竹林↑
十牛の庭の奥の孟宗竹林は昔、円山応挙がよく訪れた竹林である。瓜生山の借景と相まって、十牛の庭の奥深さを感じる。禅語にある「清風動脩竹」(せいふうしゅうちくをうごかす:あるがままの姿は美しいが、それに執着しないことこそ素晴らしい)のとおり、風に吹かれ雨に打たれる竹林の情景は、常に変化を続ける人間のあり方そのもの。円山応挙はこの竹林を「雨竹風竹図」として描き残した。刻一刻と表情を変える竹林に、禅門の本質をみたのかもしれない。HPより
☆池に映る景色がまた素晴らしい↑
☆竹林も洗練されてるよ。
☆障子から眺める景色も額縁に入った絵画のよう↑↓
☆水琴窟からの音を聞く竹筒に耳を付けて…どんな音が聞こえたかな?
静寂とした寺内にかすかに響く清音。緑深く、水豊かな洛北ならではの趣を演出する水琴窟は十牛之庭の清涼となっている。縁が広い盃型の手水鉢を用いた水琴窟はあまり例が無く、古くから「圓光寺型」として多くの趣味人に愛されてきた。↑↓
☆今はやりのモリモリの花手水と違ってこの頃は手水鉢に映った椛の水鏡と
さりげなく入れられた椛がお気に入り!↑