『上弦の月を喰べる獅子 (上)』 | 手当たり次第の本棚

『上弦の月を喰べる獅子 (上)』


螺旋は怖い、と思う事がよくある。
それは、終わりのない図形であり、かつ、底のない形象だからだ。
だからこそ、それをのぞき込むことに魅せられてしまうのだけれども。

さて、底がないというのは上から見下ろした時の螺旋、すなわち渦巻に対して感じる事だ。
これは、螺旋の中心がへりから見て下の方にあるからこそ、感じる事ができる「はてしなさ」なんだよね。
しかし、この漏斗のような形を逆にしてみたらどうだろうか?
それは、蛇のとぐろのような形になっているはずだ。
インドの宇宙論において、世界の中心にあるというスメール山が、まさにこの形をしているのだそうだ。

主人公は、スメール山の山腹を上っていく事になるのだが、すなわちそれは、「底なしの頂上」をめざすという事で、すなわち、頂のない山を登っている事になるわけだね。

螺旋ということについて、いろいろな面から語りながら、このはてしない巡礼を始めるのは、アシュヴィンという名を与えられた男だ。
アシュヴィンは、インド神話の双子神だけれども、このような双子の神は、しばしば、「兄と妹」のカップルとして登場する。実際、主人公そのものではないが、物語の前半から、「兄と妹」が複数登場するのが興味深い。
「2」と「螺旋」は、遺伝を連想させ、実はそれも、物語の重要な要素となっているらしくも見える。

『上弦の月を喰べる獅子』という魅力的なタイトルは、洋の東西の神秘主義的な思想からとられた概念を組み合わせたもののようだけれども、その謎解きはまだまだ物語の先にある。


上弦の月を喰べる獅子 上 (ハヤカワ文庫 JA ユ 1-5)/夢枕 獏
2011年3月15日初版
第10回日本SF大賞