『朝鮮の神話伝説』〈世界神話伝説大系 12〉 | 手当たり次第の本棚

『朝鮮の神話伝説』〈世界神話伝説大系 12〉

戦前の、1929年に上梓された本著、朝鮮半島はまるごと朝鮮だった。
今は半島が南北に分かれていていろいろややこしいことになっているが、朝鮮という国号は、なんとも綺麗だよね。他に、鶏林という呼び方もあるそうだ。
その由来についても、本著の中におさめられている。

さて、(本著の表記に従い)朝鮮の神話というと、日本の記紀に相当する『三国遺事』や『三国史記』という書物があるが、本著にも、そこからとられた建国神話が一部おさめられている。
しかし、正直いうと、遺事も史記も、いまひとつ面白くは思えない。
一国の起源を示すために編纂されたような神話は、だいたいそうだと言っても違いはないかもしれないが、それにしても、「あそこを支配してみたいよ」という思いから発する建国起源が多すぎるのだ。
わかりやすくまとめてしまうと、
「あの緑の大地を手に入れろ」
ということだ。

しかし、そこをよくよく考えてみると、天界だろうが外国だろうが、どこかからやってきた人々が「緑の沃野を手に入れ国を作りました」というのは、つまるところ、フロンティアに到来したという意味になるのだろう。
ただ、日本の天孫降臨のように現地の神々なり、人々なりと争ったという経緯がなく、ただもう、やってきて入植して国を作っているイメージだ。
朝鮮の建国神話は、つまり、フロンティア神話なのだ。

一方、地方に伝わる伝説は、孝心にまつわるものが多く、夫婦の情にまつわるものはやや少なめに思われる。
と、申しますか、夫婦の情があつく感じられるのは、羽衣伝説くらい。
七夕伝説でさえ、朝鮮のバージョンは、あまりにも二人がらぶらぶだったために仕事をおろそかにして……という経緯ではない。
夫婦よりはひたすら子が親を思う愛情であり、母親が子を思う愛情が語られる(残念ながら父親は枠外)。

もうひとつ、ちょっと面白かったのは、朝鮮各地に、米のあふれる穴を持っていたお寺がある、というところ。
必ず、住持が暮らしていくのに充分なお米が寺内の特定の場所から毎日あふれてきて、欲をかいた人が、「もっと出てくるかもー?」とその穴を広げてしまうと、お米は出なくなって、清水がちょろちょろと出るだけになる。
(但し、清水はどんなひでりの時も絶える事がないというおまけがつく場合もある)。
そして、なぜか、お米があふれてくるいわれは、全く語られていないのだ。
これって何なのだろう。ちょっと気になる。


世界神話伝説大系〈12〉朝鮮の神話伝説 (1979年)/著者不明
1929年1月29日初版
1979年12月20日改訂版