『日本書紀』(全五冊) | 手当たり次第の本棚

『日本書紀』(全五冊)


おとなり中国では、何度も何度も王朝がかわりました、といっても、国土の広がりに変遷があるため、正確には、漢民族を支配する王朝がなんども交代したのだ、と表現するのが良いのだろう。
そして、神代はいざしらず、王朝が交代するというのは、「あとから来た者が前にいた王を倒す」という形で行われるため、そのたびに、王朝の正当性を主張するための史書が編纂されたわけだ。
(従って、近代的な歴史学とは違い、あくまでも、「現王朝の正当性を主張するための道具」である事を考えに入れておかなくてはならない!)。

この習いにしたがって日本で作られたのが、本書だという話だ。
ということは、当然、それ以前に存在した地方勢力(地方の王とかそれに準ずる権力者)をおとしめて、大和王朝の正当性を主張しているはず。
そのせいかどうか知らないが、『古事記』とは、語られている神話の内容も微妙に違っている。

もちろん、歴史をさかのぼればさかのぼるほど、「自分につごうのわるいものはけなしておく」というのは普遍的な習いであり、現代人の目をもってそれを批判してはいけないのだけれど、十代の頃はそういう「古代のスタンス」がいやに思えて、『日本書紀』をあまり読む事はしなかった。

まあ、そういう、大人の事情を理解してからでないと、読めないとも言えるわけだな。

そこらへんの「古代フィルタ」の存在を割り引きながら読むと、これがなかなか面白い。
いったい、当時の日本と中国大陸・朝鮮半島はどれくらい、また、どのあたりで交流があったのかとか、そういうところも見えてきたりするし、大和朝廷に「まつろわぬ」地方勢力がどんだけあったのかというのも、なんとなく見えてくる。
読みようによっては、かなり赤裸々な古代日本がわかるように思うのだ。


日本書紀〈1〉 (岩波文庫)/坂本 太郎
1994年9月16日初版