『ハンターズ・ラン』 | 手当たり次第の本棚

『ハンターズ・ラン』


主人公、ラモンは、貧しいメキシコ人の生まれで、十代の頃からの採鉱夫。
はっきり言って、無教養だし、酒飲みだし、向上心などはかけらもない飲んだくれだ。
……そう。
ヤクザではない。「俺は漢なんだぞ!」といきがる、ラテン系の飲んだくれというの主人公像なのだ。
人付き合いはおそろしく下手で、まわりに人のいない、大自然の中にいる方がほっとする、そういうタイプ。

従来にない主人公像だって?
まあ、確かに。
作者たちも、そう思っているらしい。
そもそも、従来のSFでは、圧倒的に、中産階級の白人というキャラクターが主人公をつとめる事が多い、というのが、こういうキャラクターを作り出す動機になったというのだが、まあ、そりゃそうだよな。
欧米のSFに関して言えば、読み手も書き手も、まさしく中産階級の白人という層に位置するというか、社会のメジャーなグループがそういうカテゴリなのであって、従って、読者が一番感情移入しやすいと、思われているんじゃないだろうか。
そして、そういう中にあるからこそ、ラモンのようなキャラクターが、斬新で面白味がある、と喜ばれるのだろう。

しかし、そういう、主流からはずれたキャラクターは、読者の共感を呼び起こすのがなかなか難しい。
つまり、どれほど異質なキャラクターでも、どこかしら、腫瘍な読者層が共感をおぼえられるところがなくてはならない。
私が思うに、それは、ラモンの「人付き合いの下手さ」というところにあるのだろう。
現代では、誰しも、他人とのつきあいが「難しい」と感じやすい。
「あのとき、ああしていれば。こうしていれば。いや、あんなことしなかったら」
……どうです。なんかひとつは憶えがあるのでは?

まさしく、ラモンは、そういった悩みに満ちた男だ。
単に、無教養だからというのではなく、とあるアクシデントのため、ラモンは自分の記憶がイマイチさだかではないというトラブルをかかえている。
ゆえに、「もしも」と感じる過去を、絶えずいろいろt反芻するはめになる。
しかも、人間とは全く異なる異種族と拘わる事によって、自分のアイデンティティを絶えず確認し、あるいは異種族に説明しなくてはならないという問題もかかえている。

本作は、実際には、このラモンが、「知性体にとって最も戦うのが困難な敵」を与えられ、そいつと追跡劇を演じ、ある窮地から脱出する方法を手探りするという、異星が部隊のサヴァイヴァルものになるのだが、そのハードな冒険の側面には、常に、この「自分さがし」がからまっているのだ。

正直、ラモンが冒険する異星の風景は、それほど異質ではない。
異種族が出てくる事を考えにいれても、舞台が中南米のどこかであっても、差し支えない気がする。
(たとえば、アマゾンの広大な密林だって、日本人どころか、中産階級のアメリカ人にとっても充分異質なはず)。
ただ、彼のいかにもなマッチョさと、それに相応したサヴァイヴァルの様子という、肉体的にハードな展開が、ただそれだけに終わらず、前述のような精神的問題と常にからみあっているところが、本作の醍醐味だ。
実際、その精神的問題に大きく寄与する異種族の存在すらも、ほぼ、ラモンが精神的問題を解決するための「手助け」と「きっかけ」に過ぎず、これといって彼のすむ社会には影響を与えていないほどだ。

とはいえ、背景にある複数の異種族の確執も、なかなか面白い関係なので、この世界観で別の物語がもし書かれるなら、本作とは別の面白い冒険SFが出来上がるかもしれない。


ハンターズ・ラン (ハヤカワ文庫SF)/ジョージ・R・R・マーティン
2010年6月25日初版