『鹿鼎記 (5) 経典争奪』 | 手当たり次第の本棚

『鹿鼎記 (5) 経典争奪』


日本のヤクザに仁義という独特の倫理観があるように、江湖の好漢、すなわち侠客たちにも、独自の倫理観のあることが、金庸の物語から読み取れる。(少なくとも、金庸描くところの武侠世界は、そういうものなのだ)。
たとえば、武芸を身につけるためにある人を師と仰いだ場合、その許しを得ずして勝手に別の師につく事は許されないし、もとより、師の言うことは絶対だ。

裏切りというのは最も卑劣な行為のひとつであるとか、気っぷの良さが尊ばれるとか、まあ、他にもいろいろあるけれど、「武侠」という呼び方がある以上、この「武芸の師匠」については、とても重要だろう。

この点、ちゃらんぽらんな小宝は、まさしく希有なキャラであって、師匠を次々にとりかえる……というより、行く先々で、いろいろな人が、いろいろな経緯で、少しずついろいろな技を教えてくれたり、弟子入りをさせてくれるのだ。もっとも、小宝が心からそれを望んだわけではないけれども。(望んだ場合にはもちろん、別の意図があるのだ)。

本来許される事ではない、むとんちゃくに多数の師匠を持つこと、そして敵対勢力であろうと、内側に入り込むと、いつのまにかそこで大切にされてしまうことなど、普通に見れば、八方美人の裏切り者だし、物語中しばしば描写されるとおり、小宝は武芸が使えないだけに、非常に汚い手や小狡い手をたくさん使う。
しかし、憎めない!

もしかすると、関羽のように廉直な武将や、九紋竜史進のように義侠心溢れた好漢を理想としながらも、中国人は、実のところ、そういう理想に近づく事ができない等身大の自分を、この小宝のようなキャラクターにあてはめて、彼の活躍を痛快に感じているのかもしれない。


鹿鼎記〈5〉経典争奪 (徳間文庫)/金 庸
2009年4圧15日初版