『サファイアの薔薇 (下) 』 または 『神々の約束』〈エレニア記6〉 | 手当たり次第の本棚

『サファイアの薔薇 (下) 』 または 『神々の約束』〈エレニア記6〉

〈エレニア記〉は本巻をもって、堂々と完結する。
ストーリー上は順調にボスが一人ずつ倒れていって、大団円となるわけだが、ラスボスである邪神アザシュより、むしろその手前の人間たちの方がドラマティックなのは、基本的にファンタジイで、かつ英雄譚であっても、本作が人間たちの物語であるから、なのだろう。

もっとも、それを言うならば、エディングス作品では、登場する神々もまた、きわめて人間的だ。
今回、主人公らが騎士団に所属していて、彼等が本来信仰する(べき)神が、なんとなーくキリスト教的なものに設定されているようなのは、興味深いことだが、そのためか、「エレネの神」は、アフラエルの言葉で描写される事はあっても、最後まで、キャラクターとして登場する事がない。
これは、スティリクム以外の神々まで登場する、続編〈タムール記〉まで見ても変わる事がないのだ。

ある意味でこれは面白いが、ほとんど全てのキャラクターが、魅力ある存在として登場するエディングス作品としては、少し残念さを感じる部分でもあり(いや、かといってエレネの神が登場しちゃったら、その設定は大きく崩れてしまうかもしれないのだが)、
強いて言うと、微妙な欠点として残ってしまうように思える。

とはいえ、〈エレニア記〉そのものは、最後の対決部分で、段階的に、人間の仇敵をひとりひとり、違った風に滅ぼして行く事で、物語として大いに盛り上がり、成功していると思う。
スパーホークのライヴァルであったマーテルの最後と、マーテルの部下にして、ある重要な人物を倒す事になったアダスの末期は、本当に見物だし、敵としては小物であっても、唯一の女性であるアリッサ王女の最後も、なかなか趣がある。

さて、ラストでスパーホークはアフラエルの導きにより、手にした大いなる力を放棄する事をある意味強いられるのだが、この部分は、〈タムール記〉のラストと二重になっていると見るべきだろう。
すなわち、「神々は人間を超えうるかもしれないものであり、かつ、人間は人間以上の力を持ち得ない」という、一見矛盾した特質を、〈タムール記〉まで通して、描きたかったのだろうと想像する。


神々の約束―エレニア記〈6〉 (ハヤカワ文庫FT)/デイヴィッド エディングス