『仮面ライダーSpirits (14) 』 | 手当たり次第の本棚

『仮面ライダーSpirits (14) 』

思えば、日本の二大特撮ヒーロー、ウルトラマンと仮面ライダーは、ともに、昭和40年代大人気だったシリーズなのだが、そのヒーロー像は大きく異なる。
ウルトラマンが、そのタイトルにあるとおり、「超人」、すなわち地球の人類より優れた存在であり、人類もまた、ウルトラマン的存在を理想として目標とする、というのが前提であるとするなら、仮面ライダーはあくまでも等身大の人間をめざしており、その方向性が全く違うのだ。

本巻において、作者はその特徴を次の言葉で語っている。
「負傷……復元
そして更なる進化
それが仮面ライダーとしての本質
そして人間の持つ可能性……」

確かに、昭和の仮面ライダーたち、とくに1号・2号は、いたましいほど多く傷ついた。
変身を制せられ、戦闘員たちに袋だたきにされたりもしてきた。
しかし、必ず、ライダーたちは、その屈辱や痛みに耐え、変身し、あるいは新必殺技を編み出して難敵を倒してくれたのだ。

人間としてまさしく等身大であろうとした彼らは、変身前の姿も、格別、エリートとして暮らしていたりはしない。
サイボーグであるという一点を除けば、同じ町内に一人くらいはいそうな気がする、普通の好青年なのだ。
そして、だからこそ、サイボーグにされてしまったり、そうならざるを得なかった事が、悲劇的でもある。
別段、最初から、世界を救おうなどと志願したわけでもなんでもない若者が、ほんのめぐりあわせにより、戦う事になってしまうのだから。

考えてみると、その点で、彼らは肉体だけではなく、精神的にも大きなダメージを負っているという事になる。

一説に、勇気とは、恐怖を克服する力だという。
仮面ライダーたちは、まさしく、その「克服する力」を見せてくれるのであり、
日頃、いろいろなものを克服するのに苦労している視聴者や読者たる一般人は、だからこそ彼らがヒーローであると認める。
そう、決して、彼らがサイボーグとして超人的な力を持っているから、ではないのだ。

だからこそ、燃える。
燃えるんじゃないか!


仮面ライダーSPIRITS 14 (14) (マガジンZコミックス)/石ノ森 章太郎
2008年4月23日初版