『アメリカ・インディアンの書物よりも賢い言葉』 | 手当たり次第の本棚

『アメリカ・インディアンの書物よりも賢い言葉』

魔術だ魔女術だ易だ、と古今東西のいろいろな「秘術」をフュージョンさせた、いわゆる「ニューエイジ」。
たとえば、パワーストーンなども、この「ニューエイジ」ムーブメントの落とし子らしい。
で、ニューエイジで芽生えた、一種の自然回帰思想が、同じく台頭してきたアメリカン・ネイティヴ趣味と合体して、やたらとこういう本が出るようになったようだ(笑)。

アメリカ・インディアンと呼ぶのは、(インドはアメリカじゃないのだから)的はずれなので、アメリカン・ネイティヴと呼びましょう、と連呼しつつ、そのアメリカン・ネイティヴの文化に着目して、
「人間、物質文明から卒業してもうちょっと精神的なところに目を向けようよ」
という感じ。「スピリチュアル」ムーブメント、とでも言おうか。

この……一応、ジャンル、になるのかな(笑)。
今ではアメリカン・ネイティヴをはなれて、著者が「自分自身の」言葉で書いたようなものもたくさん出ているのだけれども。
いや、なんといいますか。
発生点になっている、この手の、「アメリカン・ネイティヴもの」からして、
「あたりまえの事を言ってるじゃん?」
という気がするのだ。

はすにかまえて読むならば、
「アメリカン・ネイティヴってのがそもそも欺瞞だろ。ほんとなら、それぞれの部族名で呼ぶべきだ」
(いわゆる「エスキモー」か「イヌイット」か、という論争もありましたね)。
と考える時の、「アメリカン・ネイティヴ」という言葉に感じるうさんくささが、内容にも感じられる。

書いてあることは、とってもまともだ。
重ねて言うが
「だからさ。あたりまえじゃん?」
これですよ、これ。
ただ、あまりにもあたりまえなので、別にアメリカン・ネイティヴの言葉を借りなくてもね。
そんな気が、してしまうのだな。

しかし、もう一歩進めて考えると、だ。
そのあたりまえのことっていうのが、現代社会では、見えていないんじゃなかろうか。

現代文明は、「スピードアップの文化」なんだそうだ。
なんでも、どんどん、スピードアップ。
スピードアップする事が、良いことなのだ。
そして、いつのまにか、人間は、それにふりまわされてしまう。
車でも、運転していて速度が速くなればなるほど、視界は狭窄するのだという。
それと同じで、文明の速度が上がれば上がるほど、あたりまえのことが見えなくなるのだろう。

アメリカン・ネイティヴの言葉を借りるという利点は、おそらく、ここにあるんだな。
今の彼らはいざしらず、もともと、中部~北部のアメリカに住んでいた人々は、自分たちが自然に頼って暮らしている事をちゃんと自覚していた。
だから、彼らの間に伝わる言葉も、とうぜん、そういう意識に根ざしたものなのです。

ほんとうは、「現代人」だって、自然に頼ってるんだよね。
ただ、「文明」があるおかげで、人はその事を、忘れている。
だから、自然とつながりの深い生活からきた言葉が、新鮮なイメージで、そういうことを、思い出させてくれるのかもしれない。
それとともに、人間本来の生活の速度を、思い出させてくれるのかもしれない。

「あたりまえのこと」
たとえば母親に言われるより、友達に同じ事を言われる方がピンとくるようなものかな。
自分の領域から、少し外にいる人の言葉の方が、わかりやすいんだね。きっと。


著者: エリコ ロウ, Eriko Rowe
タイトル: アメリカ・インディアンの書物よりも賢い言葉