『PLUTO』2巻 アトム登場 | 手当たり次第の本棚

『PLUTO』2巻 アトム登場

1巻のラストで、まだ、アトムの「顔」は登場していなかった。(*)
だから、いったい、どんなアトムが出てくるのだろうと思っていた。
そうか。
こんな少年か……。

アイスクリームをおいしそうに食べるアトム。
最新式の人気おもちゃをうらやましそうに見るアトム。
それは、驚くほど、
「人間の子供らしさ」
を見せている光景だけれども、アトムが一番、その
「人間らしさ」
を見せてくれたのは、ゲジヒトの「記憶」に、隠れて涙を溢れさせるアトムである。

ところで、手塚治虫が『鉄腕アトム』を描いた時代に比べれば、現在の科学の発達ぶりは、
「当時予想したほどではない」
かもしれないけれども、
「当時予想できなかった、幅」
を、見せていると思う。
だから、当然、現代改めて描かれる「アトム」の世界は、いかにも金属めいた体つきをしたロボットも登場するけれども、いろいろな意味で、より有機的な、「人間臭さ」を持っているのが当然だ。

実際、今までのSFは、メディアを問わず、ロボットを、より人間と見分けのつかないものにしようと努力をしてきた(笑)。
機械工学の粋を極めるだけでは飽きたらず、より精巧な人工頭脳を与え、より有機的な外観を与え、また、それらの理由付けも最新科学に基づいたものにしようと、そうしてきたわけだ。
そして、人間に近づけようとするあまり、ロボットに、
「自らがロボットであること」
すら、忘れさせようとしてきたかに思える。

『PLUTO』のスゴイところは、実を言うと、
「非常に人間らしい見かけを持ったロボット」
が登場するのに、それらのロボットが、自らをロボットとしてきちんと自覚していること。
そして、どんなに人間と見分けのつかない外見をしていても、ロボットであることによる優れた機能を露呈する事に、なんのこだわりも持っていないという事なのだ!

ロボットであるということの、屈辱感もなければ、優越感もない。
いかにも自然体のロボットであるというのが、素晴らしいと思う。
それでいて、涙をあふれさせるアトムのように、その「人間らしさ」も、他の作品に群を抜いて、素晴らしい。

また、そのようなロボットが、人間社会の中でどのように扱われ、どのように生きていくのか、それが問題の焦点となる事を、示唆する筋運びになっているので、ロボットSFが昔からテーマとしてきた、
「人間とロボットとの関わり」
これについても、今後どのように描かれていくのか、非常に興味がある。

でも、よほどのポカがない限り、この作品はきっと、画期的なロボットSFになるはずだ。

著者: 浦沢 直樹
タイトル: PLUTO (2) ビッグコミックス

(*) アトムの表情が、まだ、動いていなかった、という含みです。