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私らしい私でいたい、とか
本当の自分は別にいるはず、とか
誰かが言っているのを何度も聞いたし、
私も幾度となく思ったりしたものです。
でも、どんな時も私だったし
そんなセリフを吐く誰かさんも
いつだってその人自身でした。
私らしい私、本当の自分っていうのは
誰かに何にも抑圧されず、
のびのび自由で気楽にいられる状態をさしているのかな。
恐れたり
不安だったり
緊張してビクビクしてしまう私や
周りに合わせて無理に背伸びする私は
本当の私とは認めてもらえないんだろうか。
誰に?って私自身に。
悲しい私、怒っている私、ひとりぼっちの私、
心ではひどいこと思っている私、
闇がかかった私なんて
私じゃないと思うから苦しい。
陽のさした場所にいる私しか認めないのは
苦しい。
私は3次元の世界に立体的に生きているから
私には光も陰もある。
びっくりするほど、私は善と悪を行ったり来たりしながら
毎瞬毎瞬生きている。
あまりにも多面的すぎて
私には形がない。
私はなんでかひっそり脇役でいようと思っていた。
目立つのはすごく苦手。
自信がないんだと思う。
面白いこと言えないし、
気の利いたコメント返せないし
黙っていた方が得策だと思っていた。
でも、そんな風にして生きるのは息苦しいと
最近感じるようになってきた。
30代後半に突入して、少しづつ図太くなってきたのかもしれないけど、
別に誰かに悪く思われたっていいじゃないか、
いい人に思われる必要ないじゃないか、
って思うようになってきた。
おとなしくしているから、“優しい”とか“癒し”とか言われることが多いんだけども、そもそも私は口を開くとなかなかの毒を吐くことを自覚していて、そんな周りの評価に違和感を覚えるようになってきたのだ。
私は別に優しい人間じゃない。
普通に人に対して不快感をもつし、相手が思いもよらないようなことを根に持っていたりする。
ただ、悪口とか何も解決しないしくだらないって思うし、みんなが誰かさんについて深刻そうに話すことを同じ度合いに深刻に捉える暇もない。
人を悪く言わないのは“優しい”んじゃなくてただその人に無関心なだけだったりする。
その割にひとたび口を開くと毒を吐く。
それが私。
で、ちょっと前まで見ざる言わざる聞かざるの精神をもってひっそりとしていよう、なんて大人しくしていたんだけど、それは私の実像とは違うから、なんか疲れてしまった。
私、実際は口が悪くてちょっと失礼なことも口走りがちなところがあるんですよ。
別にいい人なんかじゃありません。
開き直ると、少しづつ楽になる。
子どもの頃から幾重にも着込んだ偽りのドレスはまだまだ剝がれないけど、
全裸にならない程度の必要最低限の衣服だけ残した姿でいることができたら、人生もっと楽になるかもしれない。
私の人生に偽りのドレスはいらない。
それを捨てて初めて私は私の人生において主役になれるのだ。



