家族。 | 『ことのは』

『ことのは』

ココロの深呼吸です…。

海外で働くお父さんに、子供たちがサプライズで会いに行く…というテレビ番組を見た。


久々に、
ホント久々に、チョッピリ泣けた。



子供が欲しいと思ったことはないけれど、
「この人がお父さんになったところを見てみたい。」なんて思った経験は、私も無いわけではないから、
テレビに出てくる、私といくつも年が変わらない“お父さん”たちが、
子供たちを心から大切に思い、愛し、慈しんでいる表情や涙を見ると、
なんかジンっと来ちゃった。



家族って、
どんなものなんだろうね。




大切って思いたい気持ち。
求める気持ち…憧れる気持ち…それは私の中に、確実にあるんだって、
それは、強がってみても、私の中にやっぱり、
…あると感じる。



ただ私には、きっとその大切にする方法が分からないから、
手に入れることは出来ない。

上手に慈しむ、自信がないからね。



でも…なのか?
だから…なのか?

こういう番組を、なんとなく、見てしまう自分がいるんだな。





どうして私が“家族”をこんなふうに思うのか。
こんな話は、2年くらい前にもここにも書いた。

読み返してみたけれど、私の気持ちは何一つ、
寄り添えるような心の成長をしてないんだなぁって思った。




根深いもの。

私はやっぱり、愛情受けたって実感しながら成長をしてないから。




いつも、弟ばかりが優遇されて、私は……って想いが、
私の中に(たぶん)あるであろう“優しい気持ち”よりも大きく占めていて、
嫌な私…冷酷な私にさせる。



今も親に何かしてもらった時、
感謝の気持ちももちろんあるけれど、
その気持ちを無意識に仕舞い込むようにして、
代わりに出てくる気持ちは…“むしり取るような感情”。


私、大事にされなかったんだからって。
その代償を求めるかのように、
私の便利や利益に繋がるものは、最大限に利用してやるって、復讐にも似た気持ちを持つ…。

もちろん、いくらしてもらったって、
満たされない。


私の辛さはこんなもんじゃないって、思ってしまう。

病気だな、って私は私を客観的に見る。






今さら甘えたい訳でも、可愛がられたい訳でもない。
子供じゃないんだからさ。


でも昔から今まで、年の離れた弟ばかりが大事にされている…って感じた想いの記憶ばかりが強い。
未だに弟が、いいとこ取りで生きている気がして許せない。

本州にいる弟は、優遇だけ受けて、家のために何をしている訳でもないのに、
それで「しょうがない」と思われ、
側に住んでる私が積極的に手助けをしないのは、極悪人みたいに思われるのは、納得が行かない。




できる人がする。
側にいるのだから。
…ちゃんと分かってる自分もいるけど、
やっぱり打ち消す自分がいる。





私に大きな悩みごとがあり、辛い気持ちで潰れそうな時も、
ちょうど弟が仕事のことやら何かで悩んでいる時と一緒の時期だったから、
「弟のことで精一杯」と突き放された。



助けてくれたって、
私には嫌な言葉、恩着せがましい言葉、罵るような言葉を折々で言って、
真っ直ぐな優しさや愛情だけで包んでもらった記憶はない。

そのまんまを認めて受け入れてもらったって、
満たされた記憶がない。

ひとつひとつが、
私のトラウマになり、
私を頑なにしてる。





今、家は祖母の問題でみんな悩んだり、落ち込んだり、体力的にも精神的にも一杯一杯で。
だから、大変なのはわかってる。

でも、私は優しくなれない。




母の言葉や言い分に、
寄り添えないし、やっぱり分からない。分かり合えない。





私にも意地があるから、
どうしても折れられないの。



おばぁちゃん、
ごめんね。






お父さん、お母さん、
いい娘でいられなくて、
こめん。
優しくなくて、支えにもならなくて、ごめん。






だけど、積み重なりに積み重なったたくさんの気持ちは、
今更絶対に譲れない。



譲る私がもしいたら、
許せないから私は変われない。






何かを、何らかの形で後悔したり、

そんな日がきっと来るって分かってる気がする。




今が間違ってるとか、正しいとか、
そういうものは別にして。




だけど、そんな日も覚悟の上で、
私は曲がれない。








どんなふうになってくのかな、私…。