生きる。 | 『ことのは』

『ことのは』

ココロの深呼吸です…。

祖母が、ボケてきた、。

ほんの数ヶ月前までは、
電話して、「もしもし」って言っただけで、
「あら、hugちゃんニコニコ」と笑いながら言ってくれてたばぁちゃんが。
私の顔を見ても、すぐに私だとわからなくなった。



春に転んでケガをして…。

大怪我ではなかったのに、
年齢のせいもあってかなかなか快方に向かわず、
痛みも強くなって寝付いてしまってから2ヶ月が経つ。


どんどん、体も頭も衰えて、
久々に会った私は、
“向かいの呉服屋の娘さん”になった。

祖母の実家の向かいが、呉服屋だったらしい、。





祖母は祖父に先立たれてから住み慣れた家を手放し、高齢者の集合住宅で元気に暮らしていた。

腰は曲がっていたし、目も耳も年相応に衰えていて、
チョッピリはトンチンカンなことも言ったりしてたケド、
よく笑う、元気なばぁちゃんだった。



2ヶ月前のある朝、カーテンを開けようとしてバランスを崩し、腰から転倒。
圧迫骨折と診断されたが、入院するような重症ではなく、自宅療養になった。

ただ、なかなか身の回りのことも大変なので、
母はほぼ泊まり込みで祖母と暮らし、
“ほんの暫くの間”を乗り切ろうとしていた。



けれど、症状は波はあるものの一向に改善という改善は見られず、
逆にその圧迫が神経に触り、痛みが増して行くような状態で、応急的に、緊急で入院をした。


ただ、
やはり痛みの具合は別にして、
この怪我の程度では入院の対象ではないらしく長期入院の受け入れは無理。

結局、母もいつまでも札幌を離れる訳には行かないので、
祖母は今まで暮らしていた住み慣れた土地の施設を出て、札幌の施設に移ることになった。




祖母が札幌に移って初めての休日。
そこで会いに行った私は、“呉服屋の娘さん”になったのだ。

祖母はこの施設に移った経緯も、
悪いおばさんに捕まって、穴蔵みたいなところに連れて行かれ、必死で逃げ出そうとしたけれどうまくいかず、
そこを私の母に助けられ、命からがらここにたどり着いたことになっていた、。



話しているうちに、だんだん認識し出したのか、
私のこともちゃんと名前で呼ぶようになり、
「病院の仕事は大変でしょ?」とか、「一人暮らしなんだから体に気を付けるように」なんて言うようになったけど、

きっとこれからもっと、
分からない時間の方が増えて行くんだろうな、。









大切な友達の誕生日。
だけど友達は、その誕生日の前日に、大切な叔母さんを亡くした。

彼女がこの世に生まれた大切な日。
なのにきっと、悲しい気持ちをいっぱい抱えながら、過ごしているだろう誕生日になって。

私はおめでとう!の言葉を言うことを物凄くためらった。


結局、
私は伝えましたが。

噛み締めて。
大好きな彼女がいてくれてる感謝の気持ちを込めて。











ねぇ。

生きるってなんだろう。
なんであたし、生きてるんだろう。



私はね、生きてる意味を正直見つけられないの。


大切なもの…なんだろうって思うから。






仕事は、生活するためにしているだけだし、
かと言ってその生活だって、大した素敵で満足な暮らしぶりをしてる訳じゃない。

それに、その為だけに生きられるような目標も、興味も、ある訳ではないし。




結婚して、子供がいる友達も多い中、
私には守るべきものも何もないし、
子の親ではなく、親の子って気楽さで、きっとどこか気持ち甘えて生きている。




このために生きている!ってものがない私は、
なんで生きているんだろう。


うまくいかないことや、
移り変わることに、
憂いたり嘆いたりしながら立ち止まってばかりで。



なんで私は、生きてるんだろう。






こんなふうに考えた気持ちも、
いつか忘れちゃうのかな。



そんなふうに記憶が消しゴムに消されるようなことも、
いつかは命が無くなることも、
怖いって思うけれど、




そうやって…穏やかに、受け入れて、
生きていけるんだろうか。
みんなそうやって、
生きているのか…?






生きてる意味、なんてないのかな。








過去の思い出も、未来への希望も生きる上でなくてはならないモノだけど、

本当に大切なのは、
きっとこの一瞬だけなんだろうな。




一瞬の、
幸せの積み重ね。






それが、心の中の無意識に刻まれることそのものがきっと。



どこにもない、
形のない、

生きる意味なのかな?









あ、

誰かの心に生きられたら、、?