今日の鹿児島は

おだやかに晴れて

ぽかぽかと暖かく

 

数日前までの

水道管が凍るような寒さが

うそのようです。

 

 

古民家の中では

こたつもストーブも要らず

薄手のセーター1枚。

 

 

こんな日は

気持ちが軽やかになって

用事もはかどりますおねがい

 

 

 

集落の中を散歩していたら

菜の花畑が目に飛び込んできました。

 

 

菜の花畑というより

 

畑に植えたまま放置した

白菜?菜っ葉?に花が咲いた…

 

というのが正しいかもだけど爆  笑

 

 

 

暦の上では

今が一番寒い時期だけれど

 

明日は節分、明後日は立春。

 

 

厳しい寒さの中にも

次々と春の兆しが現れてくる

この季節は

 

苦しみのピークを過ぎて

希望へと向かう日々のようで

 

けっこう好きなんですよね。

 

 

 

今回のタイトルにした

 

冬来たりなば春遠からじ

 

という言葉は

まさにそれを表現したもの。

 

 

 

長く厳しい冬(苦しい時)を耐え抜けば

必ずあたたかな春(幸せな時)が訪れる

 

という意味で

 

19世紀のイギリスの詩人・シェリーの詩

「西風の賦」の一節だそうです。

 

 

 

実はこの言葉は

私が小学校を卒業するときに

隣のクラスの先生が

卒業祝いの色紙に

書いてくれた言葉なんです。

 

 

卒業の1か月ほど前に

母を亡くしたばかりだった私に

3年の先生方4人がそれぞれ

励ましの一言を書いてくれたのですが

 

なぜかこの

「冬来たりなば春遠からじ」

という言葉だけが記憶に強く残り

 

毎年2月の今頃になると

いつも心に浮かんできます。

 

 

 

私は6年生の2学期に

その小学校に転校したので

 

他のクラスの先生方とは

ほとんど接点はなかったはずなのに

 

どういうわけか

 

その言葉を贈ってくれたのが

若い女性の先生で、

中村洋子というお名前だったことや

 

泣きボクロのあるお顔までも

わりとはっきり覚えているのが

なんとも不思議な気がします。

 

 

 

中村洋子先生が書いてくれた

この励ましの言葉もむなしく(?)

 

その後、私の人生は

もっともっと極寒の時代に

突入していくのですが笑い泣き

 

 

40年以上たった今も

この言葉を覚えているってことは

 

それが心のどこかで

長く苦しい人生の冬を耐えるための

支えになっていたからかもしれません。

 

 

 

集落を散歩している時に

白梅が咲き始めているのを

見かけました。

 

 

古民家の裏の庭にある

梅の木はまだつぼみが硬いですが

 

2月も半ばになる頃には

梅の花がたくさん咲いて、

芳香を漂わせることでしょう。