毎日、真冬の寒さが続きますね。

 

私の古民家でも

暖房を入れていない部屋は

吐く息が白くなるほど…ダッシュ

 

 

いろんな人から

「古民家、寒いでしょ?大丈夫?」

と同情半分(?)によく聞かれますが

 

寒さが厳しいほど

晴れた日の縁側のぬくもりや

ストーブやこたつの温かさを

肌身で感じることができるので

 

冬の寒い日もそんなに嫌じゃないかなおねがい

 

 

と言いつつ、ほんとは

春が待ち遠しい今日この頃です。

 

 

さて、2週間ほど前に長女が

古民家に泊まりに来た時のこと。

 

 

ふたりで晩ご飯を食べ

 

夜遅くまでコタツでとりとめもなく

いろんな話をしていた時

娘がこんなことをつぶやきました。

 

 

「この人は何をしてあげたら

幸せになってくれるんだろう?

っていつも思ってたよ…」

 

 

 

きっかけは覚えてないのですが

たぶん、私がいつものように何気なく

弱音を吐いた時だったと思います。

 

 

”この人”とは、もちろん私のこと。

 

 

長女はよいことも悪いことも

自分の気持ちをけっこう

なんでも率直に話すのですが

 

冒頭のような言葉も

 

”この人”という、どこか

冷めたような言い方も

 

初めて聞いたものだったので

 

それは思いのほか

ズンと私の胸に響きました。

 

 

 

思えば、長女は

子どもの頃からずっと

母親である私の顔色を

無意識にうかがい

 

どうすれば私が喜ぶのか

いつも考えていたのかもしれません。

 

 

長女とはもう6年ほど前から

別々に暮らしていますが

 

娘がまだ家にいて

一緒に住んでいる頃は

 

何も言わなくても

お手伝いをしてくれたり

 

私の留守中に

部屋をきれいにして

アロマを焚いておいてくれたり

 

美味しいお菓子を用意して

コーヒーを淹れてくれたり

 

…と私を喜ばせるために

いろいろなことをしてくれていました。

 

 

大人になって

自分で稼ぐようになってからは

 

旅行に連れて行ってくれたり

さまざまなプレゼントをしてくれます。

 

 

 

我ながら「いい子に育ったわ」

とありがたく思うのですが

 

その一方で

 

小さな子どもが

「母親が幸せかどうか」を

いつもいつも気にしながら育ち

 

大人になって別々に暮らす今も

「母親が幸せかどうか」を

心のどこかで気にしているとしたら…

 

それは決してよいことではないし

とても切ないことだと思いましたショボーン

 

 

私は長女に対して

知らず知らずのうちに甘え

とても酷なことを強いてきたんだなと

しみじみ胸が痛くなったのです。

 

 

 

さらに娘はこんなことも言いました。

 

 

「なんか儚くて、

この人はいつか突然

いなくなってしまうんじゃないか…

っていつも心配だった」

 

 

淡々とした口調でしたが

 

心理を学んできた私には

その言葉の意味する重さがわかり

 

ああ、そんな想いを

させてきてしまったんだな…

 

と申し訳なくなりました。

 

 

 

幼い子どもにとっては

絶対的な安心をくれる存在であり

自分を守ってくれるはずの母親が

 

「儚くて」

「幸せそうじゃなくて」

「いつ消えるかわからない」

 

としたら、それは

どんなに不安で怖いことでしょう。

 

 

 

子どもというのは

本能的に親を必要としています。

 

 

特に幼い子どもにとっては

親は自分の世界そのもの

 

 

消えてしまいそうなお母さんを

繋ぎとめるために

 

どうやったら笑ってくれるか

どうやったら喜んでくれるか

どうやったら幸せになってくれるか…

 

それが

子どもの優先課題になっても

不思議ではありませんよね。

 

 

 

そういう意味では

子どもが親を想う気持ちこそが

無条件の愛なのです。

 

 

 

それにしても

子どもってすごいですよね。

 

 

どんなに隠していたとしても

親の本心のようなものを

感覚的に察知します。

 

 

時には親自身も気づいていない

無意識の”幸せじゃない感”を

それはもう敏感に感じ取ります。

 

 

幼い子どもほど

そのことで胸を痛め

 

その子なりの方法で

何とか親を笑わせよう

喜ばせようとするんですね。

 

 

 

私と娘のことに話を戻しますと

 

はたから見れば、私は

”いかにも不幸そうな人”

というわけではなかったと思います。

 

 

いろんなことにもチャレンジして

それなりに楽しそうに

暮らしていたと思うんですよ。

 

 

でも、娘が感じ取っていたのは

そういう私の表面的なものじゃなく

 

かつての私が心の奥に

隠し持っていた

”消えてしまいたい”という

無意識の願望の方だったのかもしれません。

 

 

 

長女は

子どもの頃から活発で

友だちも多く

誰とでもすぐに仲良くなって

しまうような子で

 

それほど大きな問題もなく

無事に大人になりました。

 

 

そして、今の彼女は

仕事もプライベートも

それなりに満たされた暮らしを

していると思いますし

 

本人も

「特に悩みはないのよね」

と言います。

 

 

 

けれども、娘は昔から時々

エアポケットに落ちたように

心が不安定になることがあって

 

「生きてても意味がないのに

なんで生きてるんだろう…」

 

「もし生まれ変わるなら、次は

(心を持たない)植物になりたい」

 

などと言うことがありました。

 

 

 

つい最近も、ふと気づけば

自分の大切な人たちが死ぬことを

考えてしまっていて

 

(次の日は仕事なのに)

なかなか眠れないことが

たびたびあったそうです。

 

 

 

いかにも今時のおしゃれ女子で

いつも明るくゲラゲラ笑う娘の

心象風景がこんなにも暗い色だとは…ショボーン

 

 

 

でも、これは

紛れもなく私のせいであり

 

私から娘へつながる

負の世代間連鎖だと思います。

 

 

 

仕事も暮らしも人間関係も

一見、何の問題もないようだけれど

 

心の深いところでは

この世界そのものを信用できず、

誰にも心から甘えられず


何かしんどいことがあるたび

「跡形もなく消えてしまいたい」

とぼんやり思っていた私。

 

 

年を取るごとに少しずつ

薄まってはいったけれど

子育てをしていた頃は

今よりずっと心が不安定でした。

 

 

娘は生まれた時から

そういう私の潜在意識を

肌感覚で受け取って

自分自身の内側にためこみ

 

本当は「母のもの」である

ネガティブな感情や感覚を

「自分のもの」であるかのように

感じるようになったのでしょう。

 

 

 

一方で、両親を早くに亡くし

親に甘えられなかった私は

 

自分のことを心配し

気遣ってくれる長女を

無意識に自分の親のように思って

どこかで甘えていたのかもしれません。

 

 

これは同性の親子、

特に母親と娘の間で起きがちなやつ。

 

 

そう。子どもの方が

親の(感情の)面倒を見る

親子逆転現象です。

 

 

双子のようなサワーポメロをいただきました。

 

 

今回は長くなりそうなので

次に続きます。