山口のおばちゃんと別れてから

父と私と弟の3人暮らしが始まった。

父は仕事をしなければいけなかったから

家事は私と弟で分担する様になった。

小学校3年生の私と2年生の弟だ。

勿論、何も教わっていなかったので

失敗ばかりして父に物で殴られた。

ちゃぶ台返しを喰らったり

何しろ暴力的な父だった。

1番痛かったのは黒電話の受話器の門だった。

竹刀よりホウキより掃除機より痛かった。


子供を殴る理由なんて何でも良かったんだと思う

部屋を片付けろ!飯を作れ!早く食べろ!煩い!

風呂に入れ!勉強しろ!寝ろ!テレビを見るな!

全ての事が理由になりうる。

虐待なんて、そんなものですよ?


父から虐待を受けていた私と弟。

私は虐待しか学ばなかった。

父がいない時に弟を虐待していた。

どんな言い訳しても許されない事実だ。

夜は父に殴られ、昼は姉に殴られる弟…

「ごめんね」なんて言えないよね…。

虐待する人は口が上手い!

私もそれを学んだ。

弟を殴る時はいつも「お前の為だよ?」

と言っていた「お前が良い大人になる為だよ?」

虐待してる時ってね、自覚ないんだ。

罪悪感なんて無い。当たり前の事をしてるだけ。


ある日、父が帰って来なくなった。

弟が学校の先生に相談したら先生が家にきて

「コレが俺がしてやれる最大限の努力なんだ」

と言って1万円かしてくれた。

1ヶ月位が過ぎて父が帰ってきた。

私「先生にお金を返したい」と話すと

父「俺が借りた訳じゃないから知らん」

と言われた。そしてまた、父が帰って来なくなった

先生の最大限の努力のお金を返せないから

もう先生には相談出来なかった。

生きて行く為に…万引を覚えた。

小学生が、肉や野菜を盗む…

違法なのは解ってた。けどソレしか無かった。

私と弟はスーパーへ行っては食料品を

盗んで毎日、暮らしてた。すぐに上手くなった。

捕まる事は無かった。店頭の物は何でも盗めた。

罪悪感はマヒしていった。

ネグレクト…これも虐待だよ?

子供は、ちゃんと育てましょう!


運良く電気や水道が止められる事は無かった。

父は何事も無かったかの様に帰ってきた。

私と弟も何事も無かったかの様に過ごした。

父からもらった食費は全て私の小遣いになった

弟も小遣いを欲しがったけど、私は弟には

渡さず独り占めしていた。最悪の姉です。


母とは年に2回、会わせてもらえた。

盆と正月が楽しみだった。

母は遊園地に連れていってくれた。

嬉しかったし楽しかった。

レディーボーデンも買ってくれた。

初めてのアイスクリームに感動した。