父は仕事をしなければいけなかった。

幼子だった私と弟を連れていては仕事が出来ない。

それでも子供を母に渡すのは絶対に嫌だと

私と弟を児童養護施設に預けた。


養蓮寺というお寺さんの営む施設だった。

幼児〜小学校6年生迄の子供達の施設だ。

私は4〜5歳位の頃に預けられた。

弟は私より1つ年下だ。


「恵まれない子に愛の手を」

お陰で木下大サーカスに招待され

特等席で見る事が出来た。

お祭りも優先的に参加させてもらえた。

クリスマスにはサンタさんが来てくれた。

夏にはキャンプにも行った。

キャンプファイヤーの印象が強い。

小学校に入学する時にはランドセルをもらった。

施設は意外と居心地が良かった。

友達との共同生活だった。

学校でイヂメられる事は無かった。

上級生に同じ施設の子がいたし

施設の存在に周りが馴染んでた。


規則は厳しかった。

朝起きる時間、寝る時間、風呂の時間、門限

手洗いうがい、身支度、当たり前の事だけど

のんびりなんてしていられなかった。

外出時は行先と帰り時間の報告と許可が必要だ。

帰る時間が1分でも遅れれば1時間の正座だ。

食事の好き嫌いは許されなかった。

全部食べ終わる迄、ずっと正座だった。

桜でんぶご飯が大好きだった。

テレビは当時放送されていた

人形劇の「プリンプリン」のみ!

それが楽しみで仕方なかった。

1つのテレビに皆が集まって釘付けだった。


私達の様に親の都合で預けられる子供だけじゃなく

親のいない子供も沢山いたから

親の話は許されなかった。

親が会いに来てくれても

「おじさん」「おばさん」と呼ぶ。

もちろん外泊は認められない。


私の初恋は施設の上級生の福ちゃんだった。

優しくて面白くて大好きだった。

でも中学生になると他の施設に移動する。

中高生の施設はどんな生活だろう?

私は小学校2年生の途中で父が引取にきて

施設を後にした。施設を出るのは嫌だった。

父に引き取られて翌年位に施設の職員さんが

来てくれて野球観戦をした。

私は「また来てね!絶対だよ?施設に帰る」

と言ったけど2度と職員が来る事は無かった。


兄は九州から父方の祖母が迎えにきて

連れていかれた。その時、兄は小学校5年生だった

その時の私はまだ兄について何も知る由は

無かった。兄は初めから居たのだから。

大人になってから施設を探しに行ったら

養蓮寺は有ったけど施設はやってなかった

当時の事を知る人も居なかった。

すごく寂しかった。私の居場所だった。