「言葉は

   何のためにあるものなのですか?」

                         ( 初めての質問 )



私は

高校2年の17歳のとき

キリスト教の洗礼を受けました。


‘将来、言葉に関する仕事をしたい’・・・

そう強く思っていた青春時代に

『初めに言葉ありき 言葉は神と共にあった

言葉は神であった』という聖書の言葉は

強く胸を打ったのでした。


言葉の仕事をするということは

神様と一緒に仕事をすることなんだ!


・・そう思って


どこか

恐いような不安なような

‘こんな私で大丈夫なんだろうか’という思いと

‘それでも その道を歩んで行きたい’という

覚悟と緊張感が

体中を駆け抜けた感覚が今でも残っています。



私が

教会の牧師先生に

初めてお尋ねした質問があります。



「‘言葉’は、いったい何のためにあるのですか?」



そうしたら


その牧師さんは

あぁぁ。。。と、深呼吸なさって微笑まれ

私に教えてくださいました。



「よしみさん、それはね・・・

神様を賛美するためにあるものなのですよ。」



‘言葉は 神様を賛美するためのもの’



・・その当時は、正直申し上げてピンと来ませんでした。



ですが

社会人となり

大和言葉という、日本の古い言葉の思想に出会い

恩師からいろいろと学ばせていただく中で

再び

「言葉は 何のためにあるのか」

という問いの答えに、出会うことになりました。



日本語の一音一音は宇宙の響きである。

それらは すべて寿ぎ(ことほぎ)の音である。



牧師先生のおっしゃったことと

表現は違いますが

全く同じ事なのでした。



日本語であれ

他国の言語であれ

住む場所や、文化・歴史・思想(宗教)は違っても

言葉の原点は同じなのですね。



聖書の創世記では

言葉によって現れた最初のものは『光』でした。

‘「光あれ」 こうして 光があった。’



私たちも

言葉で世界に光を届けることができたら・・・・

素敵だな。。と思います。


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