「やりたいことが見つからない」

 

「なにをやっても空しい」

 

「頑張っているはずなのに、むくわれない」

 

「やりたいことが見つからないコンプレックス」

 

「目標に向かってキラキラしている人がうらやましい」

 

「だから、頑張っている人を素直に応援できない」

 

「探しすぎて、なにがやりたいのかわからなくなった」

 

 

↑こういう状況、特別なことでは

ありません。

 

 

 

やりたいことを見つけなさいという「呪い」

 

「呪い」っていうと怖そうですが…

 

子どものころから

学校で、両親から

こういわれた記憶があるでしょう?

 

「やりたいことを、見つけなさい」

「やりたいことを一所懸命やること!」

「やりたいことがある人は幸せよ」

 

間違いではないのです

あなたを思っての言葉

私にも記憶はあります。

 

 

しかし、どうでしょう?

その言葉があなた自身を縛る「呪い」に

変わっていることはありませんか?

 

 

「励まし」が「呪い」に変わる

いえ、無意識に変えてしまっている

 

 

結果

「やりたいことが見つからない私はどうすれば?」

「見つけ方がわからない」

 

そして「迷宮入り」

(私のやりたいことって何?)

 

では、こちらはどうでしょう?

 

 

求められることをやる

 

私自身社会に出てから

「やりたいこと探し」の旅をつづけました

転職も二回して、三回目にやっと

「ここで働きたい」という企業と出会えたのですが、

そのときの「やりたいこと」は

 

「環境のいい会社に就職したい」になっていました

(これ、方向性が違いますよね)

 

 

以前の就職先ではいろいろあって

「今度こそ、長く続けたい」とも

思っていましたね

 

 

だから無我夢中でもあったのですが、

その中で私のスタンスが変わってきたんです

 

 

「私がやりたいこと」

「私が、私が…」を手放すあることが起こり

(これを話すと長いので)

あることを決めました

 

 

それは

「やってほしいと頼まれることを

精一杯やる」ということ

 

 

あたりまえじゃないか?って?

そう、あたりまえです

ただ、見えなくなっていた時期もありました

 

 

いまにして思えば、それが正解でしたね

気がつけば「頼まれることの中に

私がやりたいことを見つけられた」からです

 

だからそこから10年続けることができました

 

 

「やりたいこと」が見つからなくても、やれることならわかる

 

 

「やりたいことが見つからない」

ならば

「頼まれることを使命としてやっていく」

生き方もありです。

 

 

なぜ、それを頼まれるのか

なぜ、喜ばれるのか

 

 

私が名前と使命の関係を知ったのは20年前

それを受け入れられたのも、過去の私からの

メッセージだったのでしょう

 

 

名前から使命、自分を育てるポイント、強みと課題

 

自分で自分にかけた「呪い」をはらい

やれることを解き明かすセッションを18年やっています

「やりたいことより、やれること」

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