<あの時があるから、いまがある
継いでいきたい、残したい想い>
終戦の日
8月15日
私はもちろん戦後生まれですし
祖父母や両親からしか
当時の話を聞くことはありませんでした
ただ、みんな積極的には
語りたくない空気もありましたね
思い出したくない辛いことも
たくさんあったでしょうし…
それでも、時々話してくれた戦中戦後の
家族のできごと
両親は和歌山市在住で
親族もすべて和歌山にいます
和歌山市は大空襲を受けて
市内中心部がすべて焼け野原になり
1100人の人が亡くなられました
祖父母、叔母、母の4人は焼け出され
何とか生き延びた4人は状況が
わからないままにも、親戚を頼り歩きだしたのです
掘っ立て小屋(雨風も入り放題)で数日を
明かしたこともあったそうです
ただ、祖母が当時大事にしていた壺に
(祖母の継父からもらったもの)
命の綱ともいえる少しの食糧と水を
入れていたので、それに助けられたと母から
教わりました
その壺はいま私の手元にあります
普通の壺ですが、価値は無限大(私にとって)
父も同じく和歌山市内ですので
なんとか家は残ったのですが
命からがら逃げたには変わりなく
父の直径は雑賀衆(かいつまんで言えば
鉄砲部隊で、織田信長に勝ったことも
あるそうで)だったので、そのかぶとがあり
被らされて逃げたということでした
この二人が後に出会って恋をして
結婚、だからここにいま私がいます
母方の叔母は戦後の医療の不備で
腹膜炎で若くして他界
これもまた戦争の影響ですね
1歳の私と父
いまは祖父母も両親も他界して
おりませんが、みんながいて私がいる
そして今はお盆
会いに帰ってきてくれています
心の中でしか言葉は交わせませんが
それでも身近に感じることができるありがたさ
空襲の中、燃える町の中
必死で逃げてくれたからこそ
いまここにある命
大事に大事に、自分を扱っていきたいです
それが一番の孝行と思うから
あなたもね、自分を大事にしてくださいね