お彼岸なのでご先祖様関連で

 

 

昨日は祖父からの言葉

「人の痛みは3年でも辛抱できる」

テーマに記事を書きました

 

 

今日は祖母のこと

 

 

================

 

祖母の大腿骨骨折

予想もしなかった出来事は

そ知らぬ顔をしてやってきて
家族の笑顔を奪っていきます

 

================

 

ハプニングは突然にやってきました

 

いつものように犬の散歩をしていた祖母

(77歳を過ぎていましたが
足腰はしっかりしたもので
働く母の代わりに家事全般も

行っていました)

 

 

近所の犬が放し飼いにされており

それが我が家の犬にとびかかってくるという

出来事、それで祖母は転倒し通りかかった

近所の方に助けられて(犬もともに)
自宅に運ばれたものの、でむかえた父が

これは行けない!と救急車を手配


出張中だった母も、大阪の私も急遽帰宅

 

 

あれよあれよという間に手術となり

祖母は入院―リハビリの日々となりました

 

 

それまでできていた家事は一切できず

それからは私も実家に通って

病院と家を往復することが多くなりました

 

 

当時はいったん仕事をやめていたので

その時間はあったのです

 

 

ただ、以降は生活が180度変わりました

 

祖母は

 

 

 

実家は退院前に手すりをつけたり、諸々手配

当時(30年以上前)は、介護に関する知識も乏しく

本当に家族総出で動き回った記憶があります

 

 

なんといっても昭和の一軒家

段差をどうする問題が大きかったですね

玄関以外はそれほど

大きな段差はありませんでしたが

ほんの数ミリでも、段差は段差ですもんね

 

 

当然、祖母の生活には

大きくかげりが出てしまいました

 

 

母と祖母は実の親子

実の親子とは遠慮が無いもので

そこにおばあちゃん子の私も加わって

ギスギス、トゲトゲ、イライラ爆発爆弾

何度も涙した日々の連続でした

 

 

間に入った父と夫は右往左往

祖母を大阪に連れて帰り

私が介護をする!宣言を

何度も行いそのたびに揉めました

 

 

結局は実の母娘なので

すぐにお互いの感情は

元に戻るのですが…

 

 

まあ、母も慣れていないことに

しんどさがあったのでしょうね

祖母もそれはわかっていたのでしょう

 

 

比較的仲の良い家族でしたから

これはどの家庭にも起こることだと

思います

 

 

大腿骨骨折(高齢者)は、手術で無事回復しても

その後に確実に問題が出ます

 

むしろそこからが始まりなのです

我が家は外的要因でしたが

家の中、道路、危険はいっぱい

その後は家族問題

 

 

祖母はそれからどんどん弱っていき

もともと小柄でしたが、さらにちっちゃな

おばあちゃんになりました

 

 

それでも気丈な人なので

杖を持って歩くことはやめず

持病の喘息で寝たきり~亡くなるまでは

(それも2か月ほど)

認知症もごく軽いもので

生命力は強かったのだと思います

 

 

とはいえ、祖父のお位牌に向かって

「はよう、むかえにきてよ」と

つぶやくことも多々

 

 

祖父は倒れて2日で逝ってしまったので

祖母としてはあっけなさすぎて

寂しさも募っていたのでしょう

 

 

この時の経験が後に父を自宅介護することに

なったとき、生きたものもありました

 

 

祖母は身をもって、何も知らない私たちに

いろいろ教えてくれたのだと思います

 

 

もちろん、そんな意識は無かったでしょうけれど

教わることの多い人でした

 

強く(戦火を家族を守って潜り抜け)

やさしく(私は祖母が育てたヤギのお乳で

育ちました)

小さな仏さまのような祖母

 

これは杖をついて歩けるようになった祖母を連れて

ツツジを観に行ったときの写真

 

私はよく似ていると言われますが(精神的には

ほど遠い偉大な女性ですが)いかがでしょう?

 

 

骨折日記の番外編

祖母バージョン

お読みいただき、ありがとうございました

 

 

私も66歳ですので、立派な高齢者

今回は大腿骨骨折ではなくて

ホッとしましたが、それでもこの痛みです

じゅうぶんに気をつけないとですね

「人生の質」を下げないためにも