ことのは学舎通信 ---朝霞台の小さな国語教室から---

ことのは学舎通信 ---朝霞台の小さな国語教室から---

考える力・伝える力を育てる国語教室 ことのは学舎 の教室から、授業の様子、日々考えたこと、感じたことなどをつづっていきます。読んで下さる保護者の方に、お子様の国語力向上の助けとなる情報をご提供できたらと思っております。

 今日は埼玉大雪であった。

 10cmほど積もり、一面銀世界である。

 たった10cmで大雪なんて言ったら、北国の人に叱られるだろうか。

 予定していたお出かけも延期になり、仕事場でいつものようにパソコンに向かっている。

 帰ったら、鍋料理でも食べたい。

 

 今日(8日)の朝日俳壇に、鍋料理を詠んだ句がふたつあった。

 ひとつ目は、大串章氏選第3席である。

 

ここだけの話飛び交うおでん酒    (今治市 横田青天子)

 

 大串章氏は【評】に、「「ここだけの話」が「飛び交ふ」とは!ざっくばらんに語り合う人たち。」と記している。

 この「ざっくばらん」おでんはよく合っている。

 

 おでんは、もっとも自由な鍋である。

 その具材は、なんでもありである。

 わたしは、大根がんもどきたまごの三つは欠かせないと考えているが、異論はあるであろう。

 わたしの父は、おでんこんにゃくは大好きだががんもどきはいらないという。

 わたしの妻は、おでんじゃがいもを入れる。わたしは結婚するまでじゃがいも入りのおでんを食べたことがなかった。

 ちくわぶは、関東のおでんには必ず入っているが、関西では見たことがない。

 大阪「たこ梅」で食べたさえずり(鯨の舌)は絶品であったが、家庭のおでんや他のお店のおでんでお目にかかったことはない。

 これがあればおでんである、というものもないが、これがなければおでんではない、というものもない。

 味付けも、昆布だしあり、かつおだしあり、味噌おでんあり、静岡かつお粉もあり、とにかくなんでもありである。

 おでんは、自由である。

 鍋でいろいろな具材を煮て、おでんだ、と言えばそれがおでんである。

 最近は、トマト入りのおでんもある。

 それでよいのである。

 コンビニのレジ横で売られる鍋物は、おでんだけである。

 すき焼き湯豆腐をレジに置いているコンビニは、見たことがない。

 そんな自由なおでんだから、食べていて気持ちがおおらかになる。

 おでんを食べながら人生についての深い思索などはできない。

 おでんは、みんなでわいわいと「ここだけの話」をするのにふさわしい食べ物である。

 

 鍋料理の句のもうひとつは、高山れおな氏選第5席である。

 

鮟鱇鍋死後の有る派と無い派とが    (大垣市 大井公夫)

 

 鮟鱇捌き方は、特殊である。

 体がぐにゃぐにゃとやわらかいため、まな板の上で捌けない。

 「吊るし切り」といって、口にフックをかけて吊るし、口から大量の水を入れてパンパンに膨らんだ状態で捌いていく。

 皮を剥ぎ、身を切り、内臓を取り、さいごにはフックにぶら下がった歯だけが残る。

 鮟鱇は捨てるところがなく体全体すべてが鍋の具材として食される魚である。

 

 歯だけになって吊るされている鮟鱇を見ると、について考えてしまう。

 わたしたち人間は一生の間に多くのことを成し、多くのものをその身に貯える。

 けれども、死後に何が残るのか。

 亡き後になにものかを残す人間はごくわずかであり、ほとんどの人間は死と同時に人々の記憶からも消え、無に帰っていく。

 せいぜい後に残るのは墓石に刻まれた名前だけである。

 鮟鱇の吊るされたは、人生を終えたわたしたちの姿である。

 はかないものである。

 

 鮟鱇は吊るされて歯だけになるとはいえ、最後にわたしたち人間に美味という幸福を与えてくれる。

 わたしの人生はどうだろうか。

 誰かの幸福に何も貢献することなく何も残さず、この世から消えていくのではないか。

 残された人生の中で、すこしでも誰かの幸福のためになることができるだろうか。

 あるいは、もう一度生まれ変わって、今度こそ誰かのためになる正しい人生を送ろうか。

 いやいや、死んだら灰になって終わりである、死後の世界などない、と考えたほうがよいのかもしれない。

 吊るし切りにされて歯だけになった鮟鱇の姿を思うと、人生のはかなさ生きることの意味を考えてしまう。

 

 おでんここだけの話が飛び交い、鮟鱇鍋死後の世界を思う。

 どちらの句もそこあるのは、「おでん」でなければいけないし、「鮟鱇鍋」でなければいけない、必然性によって詠まれた句である。

 作者の感覚の鋭敏さ言葉選びの確かさを感じる。

 ただただ美味しいものをたくさん食べたいだけの食いしん坊のわたしには、真似できない。

 たまに食べ物俳句短歌を詠もうとするのだが、食べ始めると食べることで頭がいっぱいになり、それどころではなくなってしまうのは、我ながら情ない話である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 6日(金)の朝日新聞社会面に、「政治動画 稼ぎ時?」という見出しの記事があった。

 衆院選が近づく中、ネット上には真偽不明な内容煽情的な言葉の目立つ政治系動画があるれている。

 記事では、どんな人が関わっているか知るために政治動画で収入を得ているユーチューバーに取材している。

 

 取材に応じた匿名の39歳のユーチューバーは、市職員をやめて昨年5月に動画投稿を始めた。

 7月の参院選をチャンスととらえ、参政党の応援チャンネルを二つ立ち上げ、選挙前後の3カ月で約220万円広告収入を得た。

 「稼げなかったら、やっていませんよ」と、収入目的であることを公言するその人物は、煽情的な言葉を並べる自身の動画について、「自分に都合のいい考えを聞きたい、特定の人をバカにしてスカッとしたい、という視聴者のニーズに合わせているだけ」と語る。

 動画の内容に誤りがあることについては、「目の前の利益と作業時間を考えたら、事実確認はおろそかになってしまう」と打ち明けている。

 

 この記事でユーチューバーが話しているように、政治系動画の目的は金儲けである。

 世の中を良くしよう、とか、真実を知ってもらおう、という気持ちはない。

 より多くの視聴回数を得られれば、それでよいのである。

 視聴回数を稼ぐには、事実よりも刺激的なデマ大げさな誇張のほうが効果が高い。

 デタラメ有害政治動画が増殖するのは必然である。

 

 こうして作られた金儲け目的のいい加減な動画が、それを真に受けた人々によって拡散される。

 わたしが見たあるブログでは、中国人が日本を乗っ取ろうとしている外国人労働者が日本人の雇用を奪っている、というデマを信じた一般の有権者(専業主婦)が、日本人ファースト外国人排除を主張していた。

 このブログの書き手に悪意はない。むしろそれが善だと信じて書いている。

 欠けているのは、知性判断力である。

 

 わたしたち有権者に必要なのは、悪質な政治動画にだまされない知識知性である。

 それらを身につけるためには新聞を読むのがよいのだが、知識知性もない人たちは新聞を読まない。

 朝日新聞がどれだけ頑張って蒙を啓こうとしても、それらの人々には届かない。

 

 新聞を読まず正しい知識判断力を持たず、スマホの動画に流れてくる膨大なデタラメを信じる人々の一票で、この国の未来が変わる。

 選挙結果がおそろしい。

 

 6日(金)の朝日新聞朝刊、「ファクトチェック」は、高市首相レアアースをめぐる発言を採り上げている。

 2月4日に岡山県での街頭演説で、高市早苗首相はこのように言っている。

 

 レアアース、南鳥島の深い海の底6千メートル、そこから引き揚げにようやく成功しました。10年以上前に発見されてから、準備はしてきた。

 だから日本は、今の世代も次の世代もレアアースには困らない。

 

 この発言を、朝日新聞「ファクトチェック」は、「ミスリード」と断じている。

 朝日新聞高市首相の事務所に発言の根拠を尋ねたが、5日夜までに回答はなかったという。

 

 以下、記事の要点である。

 

 政府主導の研究チームは2日、東京・南鳥島周辺の排他的経済水域(EEZ)で水深約5700mの海底からレアアースを含む可能性のある泥の引き揚げに成功したと発表した。

 泥の中にレアアースが含まれているかどうかの分析、泥の中から不純物を取り除いてレアアースを取り出す精錬技術の研究開発、採算性の評価、環境汚染対策の検討などは、これからである。

 

 つまり、現時点ではレアアースが含まれているかもしれない泥を引き揚げただけで、自給できると言える状態ではないのである。

 記事は「ミスリード」と判定した理由を次のように説明している。

 

 今回の引き上げ、レアアース自国供給への第一歩を踏み出したことは確かだが、安定してどれだけ採れるかなどの見極めは、まだこれからで、誇張した表現。現時点で「困らない」と言うには根拠が薄く、誤解を招く。

 

 高市首相は、選挙前に有権者の前でできるかどうかわからないことをいかにも今すぐできるかのように大ボラを吹いたのである。

 

 昨夜、テレビのニュースで各党の党首の街頭演説の様子を報じているのを見た。

 高市首相は、食料自給率100%を目指す、と訴えていた。

 去年の米不足のとき、当時の石破首相はこれまでの減反政策から増産に切り替えるという方針を打ち出した。

 高市首相は就任するとすぐにその方針を撤回し、再び減反政策に戻した。

 減反政策は、自給率100%を目指すことと矛盾している。

 

 わたしがいつも行く業務スーパーでは今、売り場にカリフォルニア米ベトナム米が並んでいる。

 価格は5㎏で3000円前後で、国産米よりかなり安い。

 台湾米韓国米が売られていたときもあった。

 仕入れ担当者は、少しでも安い米を消費者に届けるために日々努力しているのであろう。

 減反政策を続ければ、米の輸入を続けざるを得ない。

 自給率100%の達成はありえない。

 

 高市首相減反政策を進めるのは、米の高価格を維持して農家の収入を増やし、農家からの支持を得るためである。

 食料自給率100%を訴えるのは、一般有権者の支持を得るためである。

 選挙で勝つために、あちらとこちらで矛盾することを言う、二枚舌である。

 

 選挙のために大ボラを吹き二枚舌を使う首相の甘言にだまされるほど有権者は愚かではない。

 と言いたいところだが、相変わらず高市首相の支持率は高いようだ。

 今日の選挙は、与党が圧勝しそうである。

 

 与党が勝つと株価が上がる、と言って、選挙結果を楽しみにしている自己中心自分本位有権者もいる。

 選挙はあなたの金儲けのためにあるのではない。

 と言っても、株価と自分の通帳の残高しか目に入らない人には無駄であろう。

 

 選挙前には一切口にしないが、高市首相が選挙後に目指しているのは、憲法改正(改悪)教育勅語の復活、徴兵制の復活、スパイ防止法(治安維持法)の制定、外国人の排除、などである。

 軍事費は際限なく増額されるであろう。

 行き着くところは、戦争、である。

 

 有権者は目を凝らして耳を傾けて、高市首相が目指しているこの国の行方をきちんと認識しなければならない。

 選挙結果がおそろしい。

 

 6日(金)の朝日小学生新聞天声こども語は、稲垣えみ子氏韓国でのできごとを書いていた。

 ソウルは最高気温が0度に届かず、顔がピリピリ痛くなるほど寒いらしい。

 

韓国で古い銭湯に行ったらシャワーやサウナの使い方がわからずまごついた。韓国語ができない自分に近くのお客さんが手取り足取り教えてくれた。最初は緊張していたが、出るときには心も体もポカポカになっていた。

 

 なんということもない、ごくありふれたできごとである。

 困っている人がいたら助けてあげる。人間として当たり前の行為である。

 銭湯の入り方がわからない外国人には、教えてあげればよい。

 ゴミの出し方がわからない外国人には、教えてあげればよい。

 韓国人でも、日本人でも、中国人でも、ベトナム人でも、ネパール人でも、ミャンマー人でも、クルド人でも、ロヒンギャでも、同じことである。

 

 韓国の人が、日本人は銭湯の入り方のルールを守らないから、日本人の入国を厳しく取り締まるべきだ、などと言い出したら、日本人は悲しく思う。

 ここは韓国なのだから韓国人ファーストだ、日本人は韓国の銭湯に入るな、と言ったら、やはり日本人は悲しい。

 稲垣えみ子さんが出会った韓国人は、そのような馬鹿げた偏狭な主張をすることなく、勝手の分からない日本人を親切に受け入れてくれた。

 このような小さな親切の積み重ねが、世界の平和につながると思う。

 困っている人に手を差しのべるときに、国籍も人種も関係ない

 同じ地球に暮らす人類なのだから、みんなが幸せになれるように、助け合い支え合って生きていけばよいのだ。

 簡単なことだね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 期日前投票に行ってきた。

 世の中の大きな流れの中で、自分の一票がどれほどの力も持たないことは分かっている。

 そんな無力感にとらわれたとき、わたしは『ハチドリのひとしずく』(辻信一監修 光文社)を読み返す。

 「ハチドリのひとしずく」は、南アフリカの先住民に伝わる話である。

 

 森が燃えている。一羽のハチドリがいったりきたりしてくちばしで水を運び、炎の上に落とす。そんなことをしてもむだだ、と笑う動物たちに、ハチドリは答える。

「私は、私にできることをしているだけ」

 

 この本を企画・監修した辻信一氏による解説の中の一節を引用しておこう。

 

ぼくたち人間は、すべての生きものの中で最大の力をもつようになりました。残念ながらその力はしばしば、人間同士傷つけ合ったり、自然環境を壊したりすることに使われてきました。でも幸いなことに人間は、小さな地球人として、そのことを自覚することができます。そしてその気になれば、力を合わせて水のしずくをたくさん集め、燃えている森の火を消すだけの力をもっています。

 

地球温暖化、戦争、飢餓、貧困……。ぼくたちの生きている世界は深刻な問題でいっぱいです。しかしぼくは、それらの重大な問題よりさらに大きな問題があるという気がします。それは、「これらの問題に対して、自分にできることなんか何もない」とぼくたちがあきらめを感じてしまっていること。もしもこの無力感を吹き払うことができたら、つまり「私にもできることがある」と思えたら、その瞬間、ぼくたちの問題の半分はすでに解決しているのではないでしょうか。

 

 わたしは、「ハチドリのひとしずく」として1票を投じた。

 森の火が消えるか、その前に森が焼け尽くされてしまうか、わからないけれど自分にできることをするしかないのである。

 

 この本の後半には、自分にできることを実践している人々へのインタビューが掲載されている。

 その中から、わたしの心に響いたいくつかの言葉を紹介したい。

 

世界は、わたしたちひとりひとりからできている。だから、あなたや私がちょっと変われば、世界はやっぱり、ほんのちょっと変わっていくの。

       (セヴァン・カリス=スズキ カナダの大学院生)

 

日本は、これまでの経済競争のレールから降りて、美しい三等国になればいい。食べものがおいしくて、風景がきれいで、自然が豊かで……              (坂本龍一 音楽家)

 

毎日、「私の善き行いが、9千万の陸の生きものと1億の海の生きものとに、等しく健康と幸せをもたらしますように」と祈ります。            (ウ・オン ミャンマーの育林家)

 

金持ちになるより、豊かな自然に生かされて生きる方が楽しい。そんな暮らしをしていたら、それがエコロジーだったの。

                (蒲生芳子 そば屋・農民)

 

 

 ハチドリのひとしずくが、やがて必ず森の火を消すと信じようと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 2日(月)の朝日小学生新聞「はじめて俳句五・七・五」に、ことのは学舎の生徒の中村健吾くんの俳句が入選していた。

 昨年12月の2回連続入選に続き、3回目の入選である。

 

初日の出鴉が六羽まい上がる   4年 中村健吾

 

 選者の塩見恵介氏は、次のように評している。

 

 元旦の明るい初日の出を背にシルエットとなって黒い鴉がはばたく。6羽という具体的な数字も良いね。新年の勢いを感じたよ。

 

 「初日の出」を詠むとき、普通は「初日の出」そのものを句の中心に据えて詠むものである。

 舞い上がる「6羽の鴉」に焦点をあてることは、なかなか思いつくことではない。

 中村健吾くんの非凡なところである。

 

 この句は、実景を詠んだものではない。

 この句を作ってわたしのところに持ってきたのは、昨年12月の初めであった。

 つまり、この句に詠まれているのは中村健吾くん想像「初日の出」なのである。

 想像の中に、6羽の鴉の姿がくっきりと捉えられているのは見事である。

 

 昨年の初入選以来、健吾くんはすっかり俳句にハマっている。

 「こども歳時記」に引き続き、「俳句入門」「ドラえもんの俳句・短歌」なども買ってもらい、熱心に読んでいる。

 週末には俳句教室にも行くそうである。

 これからどんな俳句を作ってくれるか、ますます楽しみである。

 

 昨年の2作はわたしが葉書を用意して、宛名や住所・氏名などを印刷して投稿した。

 それが健吾くんの人生で初めての郵便体験であった。

 今回はわたしは一切手助けをせず、自分で出しなさい、と本人に任せたので、自前の葉書で自分で書いて(お母さんには少し手伝ってもらったようだが)投函した。

 俳句の楽しさだけでなく、投稿の楽しさも知ったのではないだろうか。

 

 子どもたちが俳句手紙新聞に親しむようになるのは、見ていて嬉しい。

 国語教室を始めてよかった、と、つくづく思う。

 

 子どもたちの未来には、無限の可能性が待っている。

 

 

 

 

 今日(4日)の朝日新聞「2026衆院選 針路を問う」という連載に、ある政党の党首のインタビューが掲載されていた。

 その発言の主要な部分を引用しておく。

 

 消費税はゼロにする。その財源は大企業の内部留保への課税や、法人税と所得税の累進課税を強化することで確保する。社会保険料は企業と労働者の負担割合を見直し、労働者の負担を半分にする。最低賃金1500円以上を実現する。防衛予算の大幅増で医療や介護、教育が圧迫されている状況を変える。

 

 安全保障法制は違憲だ。日本が攻められていないにもかかわらず、他国と一緒に戦争するための集団的自衛権の行使は認めるべきではない。スパイ防止法も、国民全体を監視する仕組みをつくり、分断や冤罪を引き起こすことにつながるため、問題だ。

 

 高市(早苗)首相が率いる与党が衆院選に勝った場合、憲法改悪、排外主義、旧姓の通称使用の法制化による選択的夫婦別姓つぶし、原発再稼働などを推し進めるだろう。それをしっかり止めないといけない。

 

 これらの主張に、何ひとつ非とすべきところはない。

 すべての国がこのような政策を推し進めれば、世界は平和になり、人類は幸福になるだろう。

 

 残念ながら、これらの主張は大部分の有権者には届いていない。

 ほとんどの有権者は、新聞を読んでいないのである。

 彼らの目や耳に入るのは、SNS上に展開される、あてにならない甘言目先の利益だけである。

 

 インタビューの最後に、この党首は言っている。

 

 「生活が第一」「平和が第一」と思っている全ての人たちに支持を呼びかけたい。

 

 これではいけないのだ。

 本当に呼びかけなければいけない対象は、「自分の利益が第一」「世界の平和はどうでもいい」と思っている人たちである。

 この新聞を読んでいる人は、この党首の主張を理解している人たちである。

 新聞を読んでいない人に届けるべき主張を新聞に載せざるを得ない現状を考えると、虚しくなる。

 

 わたしの知るある有権者は、今回の選挙においても株価自分の通帳の残高しか眼中にない。

 選挙金儲けのチャンスとしか考えていない。

 

 世界の平和と人類の幸福を考える人にも、自分の金儲けのことだけを考える人にも、同じ1票が与えられている。

 それが民主主義であり、普通選挙である。

 民主主義が正しく機能するためにはどうしたらよいのか。

 

 世界で戦争が続き、大国が国際法を踏みにじって他国を脅迫し、7秒に1人5歳未満の子どもが命を落としている。

 わたしたちは、何をすべきか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 世界が力の支配に向かって突き進んでいる。気が重い。
 日本の首相も、日本を「強い国」「豊かな国」にすると言っている。
 「強い国」とは、アメリカのように外国からも自国の国民からも恐れられる国のことであろう。
 強い国豊かな国が本当に良い国だろうか。
 強くなく豊かでもなくとも、そこそこ幸せで世界中から愛される国でよいではないか。

 世界の未来に希望が見えないとき、わたしは『ホセ・ムヒカ 世界でいちばん貧しい大統領』(アンドレス・ダンサ、エルネスト・トゥルボヴィッツ著 大橋未歩訳 角川文庫)を読み返す。
 弱くて貧しい国の、国民から愛された大統領の思想と行動にわずかな希望を見出し、自分の心の支えとする。
 今日開いたページにはホセ・ムヒカ移民に対する考えが書かれていた。
 著者はこのように記している。

 最初の数年に受けた教育として最も強烈だったのは、ムヒカが育った「移民社会のウルグアイ」だ。ムヒカにとって混乱ほど素晴らしいものはなく、それが文化的な混乱であればなおよかった。二十世紀の初め、ウルグアイは何千人もの移民をヨーロッパから受け入れた。特に、戦争や貧困を逃れてきたスペイン人やイタリア人が中心だった。「当時のスペイン人やイタリア人は混乱状態にあった」とムヒカは思い出す。「彼らこそ、今の我が国を建設するために働いてくれた人たちなんだよ。多くのウルグアイ人と同じように、私の家族もそうだった」
 大量移民時代がもたらしたものは、ムヒカによると、良いことづくしだった。互いの違いを認め合い、その違いと共存することができなければ、何も恩恵は得られない。重要なのは、異なる考えや意見を言う人に対する寛容の精神を持つことなのだ。
(145ページ)

 筆者は、ムヒカの言葉を紹介している。

 一番素晴らしいのは人種間の交わりだ。民族浄化なんてナンセンスもいいところだ。ブラジルが一番いい例だ。ブラジルにはありとあらゆる人種がいる。青い目をした金髪の黒人や、実に様々な人たちが住んでいる。そして、彼らは目を瞠るほどの生きる意欲にあふれている。これこそ、人種の融合が成功した最高の例だよ。

 アメリカは今、「アメリカファースト」を掲げて移民を追い出している。
 日本も、与党やその他の一部の政党が「日本人ファースト」を掲げて移民を厳しく取り締まろうとしている。
 彼らにとって、自国の経済が外国人に支えられているという事実は受け入れがたい屈辱なのである。
 外国人に支えられることを拒み、当然、外国を支えることも拒む。
 (アメリカは60以上の国際組織から脱退した。外国を支援する気はないのである)
 外国からの支援を受けず、外国を支援しない。行き着くところは分断であり、孤立である。
 世界の平和は遠ざかるばかりである。
 
 幸せな社会の基盤は、支え合いである。

 幸せな国とは、外国から支えられ外国を支える国である。
 「アメリカファースト」「日本人ファースト」も、世界を幸せにしない
 強くもなく豊かでもなく外国から支えてもらう国でよい。
 ホセ・ムヒカ大統領が率いたウルグアイは、弱くて貧しい国であったが、国民は幸せであった。

 今度の日曜日、わたしたち有権者はどんな選択をするのだろう。
 目先の減税や株価の上昇に目を眩まされて大切なことを見失い、愚かな間違いを犯さないと信じたい。
 我が国の主権者は、そんなに馬鹿ではないはずである。信じている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 衆議院選挙が近付いている。

 今回の選挙で世の中がますます危険な方向に進みそうで、毎日気が重い。

 新聞を読んでいると、ますます気持ちが沈んでいく。

 それでも読まないわけにはいかない。

 

 1日(日)の朝日新聞朝刊、社会面に「飲食店「ゼロ」に不安」という見出しの記事があった。

 「お客さんはまず増えない。期待は一つもない――」という小見出しがついている。

 

 今回の衆議院選挙の公約に、与党も野党もこぞって消費税減税を掲げている。

 その主張に多少の違いはあるものの、食料品の消費税をゼロにする、という点は共通している。

 その食料品消費税ゼロを飲食店経営者が不安に感じている、というのである。

 食料品の消費税がゼロになると消費者が外食を避けて内食にシフトし外食産業が打撃を受ける、というのである。

 この見通しは、間違っている。

 食料品の消費税ゼロ化によってもっとも恩恵を受けるのは、ギリギリの生活費で生活している低所得者である。

 低所得者はそもそも現状の食料品消費税8%でも外食する余裕はなく、ほとんど外食をしていない。

 食料品消費税がゼロになっても、外食産業に影響はない。

 普段頻繁に外食しているのは、生活に余裕のある人々である。

 食料品消費税がゼロになれば、ますます余裕ができて外食の機会は増えるであろう。

 客が減って外食産業が打撃を受ける、というのは勘違いである。

 

 このような勘違いに基づく主張を新聞が大きな記事で採り上げるのは、食品消費税ゼロという公約を批判するためであろう。

 食料品消費税ゼロ自体は、歓迎すべきものであって批判すべきものではない。

 わたしたち有権者が考えなければならないのは、消費税という制度そのものの是非である。

 与党自民党も公約に期間限定ではあるが食料品消費税ゼロを掲げている。

 ゼロにできるならば、最初から導入しなければよかったのではないか。

 自分たちで消費税を導入しておきながら、選挙のときに減税を掲げてあたかも生活者のためを思っているフリをするのは、欺瞞である。

 しかも、減税分の財源をどうやって埋めるのか、何の考えも示していない。(赤字国債の発行は問題の先送りに過ぎない)

 消費税導入が誤りであったことを謝罪した上で、それに代わる財源を提示して食品消費税ゼロを掲げるのが筋である。

 

 そもそも消費税は、不公平税制である。

 消費に一律に課税することによって、生活が苦しくなるのはギリギリの収入で暮らしている貧困層である。

 税の目的の一つに、富の再分配による格差の解消があるが、消費税はむしろ格差を拡大する

 税収を増やすならば、法人税を上げたり所得税累進課税を強化して富裕層から徴収するべきである。

 貧困層を苦しめる悪税を導入しておいて、選挙のときに生活者の味方のフリをするのは、姑息である。

 

 選挙のときに減税を掲げて票を稼ぐ手法は、学習塾業界入塾金と同類である。

 ほとんどの学習塾が入塾金を徴収している。

 新規に生徒が入塾しても、ほとんどコストは発生しない。

 入塾金を徴収する目的は、二つある。

 一つは、早期退塾を防ぐことである。

 入塾してすぐに退塾すると支払った入塾金が無駄になるから、ひどい塾でも消費者はす退塾を躊躇して、2か月、3カ月と継続して受講料を払い続けてしまうのである。

 早期退塾を防ぐためには、長く続ける価値のある指導を提供するのが筋である。

 入塾金は不要である。

 入塾金のもう一つの目的は、入塾金無料キャンペーンによってお得感を演出することである。

 多くの学習塾がチラシで「今なら入塾金無料!」とアピールしている。

 消費者は、得した気分になる。

 もともと不要な料金を徴収していたのであり、無料にしても学習塾は1円も損をしない。

 1円の損も出さずにお客さんに得したように錯覚させる仕組みが、入塾金無料キャンペーンなのである。

 だまされてはいけない。

 入塾金は顧客を欺いて学習塾だけが「濡れ手に粟」の利益を得る、悪い慣習である。

 

 消費税も同じである。

 本来徴収するべきでない税を徴収しておいて、選挙前になるとゼロを掲げて有権者の目を欺くのである。

 以前朝日歌壇にこんな歌が載っていた。

 

税下げりゃ支持率上がると思うとはナメられたものよ我ら主権者

          (2023年11月26日 永田和宏氏選第9席)

 

 いつまでもナメられていてよい訳がない。

 今回の選挙で多くの主権者賢明な判断を下すことを期待している。

 

 

 

 

 わたしが毎日欠かさず読んでいるウェブメディア、「ほぼ日」に、北口榛花さんが手帳の使い方について語るインタビュー記事があった。

 「ほぼ日」は、面白い読み物が多いウェブメディアだが、収入の7割を手帳の売上で稼ぐ、手帳メーカーである。

 その「ほぼ日手帳」には糸井重里氏のアイデアがつまっており、愛用者が多い。

 パリ・オリンピックの女子やり投げ金メダリストの北口榛花さんも、愛用者である。

 

 北口榛花さんの手帳の使い道は、専ら練習ノートである。

 まず計画を立てて書き込み、練習中や練習後に気づいたことを書き込む。

 最初に書く計画が大切だという。

 年末から年明けにかけて、試合の年間予定が決まる。

 どの大会に出場するかを決めて、年間スケジュールに書く。

 月間カレンダーには、1、2週間ごとの練習内容を書く。

 1日ページには、午前と午後の練習内容を書く。

 そうして、書いたものを修正しながら使っていくのである。

 

 この使い方は、トップアスリートでない一般人にも参考になる。

 計画を書き込むことでゴールまでの道筋が俯瞰出来て、自分の現在地が把握しやすい。

 デジタルでなくボールペンで書くのもよい。

 修正の跡も、後で振り返ったときの貴重なデータになる。

 

 今日(2月1日)の朝日新聞の教育面の「受験する君へ」で、櫻坂46勝又春さんも同じようなことを話していた。

 勝又春さん京都大学在学中のアイドルである。

 インタビュー記事の中で、京都大学を目指した高校時代の勉強法について語っている。

 勝又春さんは、日曜の夜に1週間の勉強スケジュールを立ててルーズリーフに書くという。

 スケジュールを達成したものに色を塗っていく。

 「1日が終わると達成感がある。1週間続くと、次の宗もがんばろうという気持ちになりました」と語っている。

 

 スポーツ受験勉強という全く異なる世界であるが、計画を立ててノートに書き、ひとつづつ達成していくという方法は同じである。

 原始的だが、効果的な方法である。

 

 わたしは、計画性のない人間である。

 いつも行き当たりばったりで行動し、あとで失敗に気づいてあわてる。

 毎年この時期は、確定申告の書類作成に追われる。

 2月15日から確定申告の受け付けが始まるのは毎年のことであるにもかかわらす、いつも直前になってからあせってやりはじめるのである。

 新年度に向けて生徒募集を始めたり、入試問題を集めて教材を作成したり、やるべきことは多いのだが順調に進んだためしがない。

 今年こそ、きちんと計画を立ててみようと思う。

 

 気が付けばもう2月である。

 1月は、ほとんど何もしないまま終わってしまった。

 しかしまだ11カ月残っている。

 いまから計画を立てれば、手遅れにはならない。

 今年こそ!