今回は、僕の記憶の話です。

 

タイトルにある通り、僕は0歳の時も大人である今現在まで、日々の営みの中での心情や認識力に、これといった差異を感じたことがありません。
分かり難いと思いますので、もう少し具体的な話をします。

 

まず僕には、0歳の時からのはっきりした記憶があります。
それらは、突然思い出したというようなものでは無く、ぼんやりとした記憶などとも違う、かなり細かく状況を語れるような思い出なのです。

いつ、どこで、誰と、どんな事を...の様にかなりクリアなものです。

そして、ただその場面を画像として覚えているだけではなく、周囲に居た人が話していた言葉や、何かを見た時に僕が心で思った事なども含まれます。

 

僕は0歳の時から誰に教わるでも無く、 ”言葉” というものを理解していたのです。
家族が僕に話しかける言葉を、当時の僕も、今の僕と同じ感覚で聞いていました。

 


例えば、ある日の思い出です。

 

ベビーベッドで仰向けに寝ている0歳児の僕の所に、母親がやって来ました。
「そろそろミルク飲むかな?」
そう言いながら母親は僕のオムツが濡れていないかを確かめました。
そうすると
「あっ、さっき替えたばかりなのに...」
と言って、笑顔で僕の手を握ってくれたり、指で頬に触れてくれたりしながらオムツを交換してくれました。


その後、母親が台所に戻り、小さな鍋でお湯を沸かし始めるのを、僕は首を横に傾けて、ベットの中から見ていました。
そして視線を上に戻し、天井から吊るされたメリーゴーランドのように回転するおもちゃを眺めていました。


暫くしてまた台所の方を見ると、母親はミルクの入った哺乳瓶を水につけて冷ましている様子でした。
間もなく母親が哺乳瓶を持ってやって来て、僕の食事の時間となるのです。



この一連の流れの中で、僕は普通に母親の言葉を理解し、笑顔やスキンシップが嬉しくてキャッキャと笑っていました。


母親の台所での作業は、いつもの光景として眺めている感じです。
そして、天井から吊るされたおもちゃが廻るのを、当時の僕はとても楽しみにしていました。
さすがにそこで流れていたオルゴールの曲までは覚えていませんが...。

 

 

他にも様々な思い出がありますが、当時0歳の赤ん坊だったにも関わらず、そのどの場面においても、一人前にいろんな事を考えていたものです。

 

 

別のある日の思い出は、いつも乗っていたベビーカーについてです。
僕には4歳離れた兄がいるのですが、その兄が赤ちゃんの頃乗っていたベビーカーがありました。


僕が生まれた後、母親は、今度はそれに僕を乗せて買い物に行くのです。
そんな時、兄はベビーカーにサッと乗り込み、僕を足の間に抱え込む様にして買い物に同行することがありました。
(坂道を下り終えた辺りで、兄は降ろされてしまうのが常でしたが...)


今思えば、危険な乗り方だと思いますが、僕はそんな時間も、嬉しくて楽しくて仕方なかったのを覚えています。

そして僕は、そのベビーカーの形や色に、心の中で合格点を出していたのです。

 

 

こちらの絵よりも、もう少し大きめで長方形っぽい形でしたが、タイヤはこんな感じのクラシカルな雰囲気で、白地に僕が好きなブルー系の模様が施されていました。


ベビーカーで出掛けると、よそのお宅のものを見かける度に、
「やっぱりこれは素敵だな!」みたいなことを、生意気にも思っていたものです。

それとは逆に、背中におんぶされる時の紐の様なものは、気に入っていませんでした。
くすんだような赤い色が、僕の趣味ではなかったからです。

 


ある時、祖父母の家に家族で行った時の事。
近くのスーパーに買い物に出掛けたのですが、その時僕は、その赤い紐でおんぶされていました。
スーパーの入り口まで来ると、すぐ目の前に同じように赤ちゃんをおんぶした人がいました。
その赤ちゃんを背負っている紐は、深みのある綺麗なグリーンでした。


僕はそれを見て
「あれがいいなぁ...何であの色にしなかったんだろう。」
と、羨ましく感じると共に、親の物選びのセンスに不満のようなものを感じたのです。

まだ言葉を発することもできない赤ちゃんでも、心の中ではいろんなことを認識し、考えていました。

 

そしてこれらの記憶は、自分で立ち歩きが出来ない0歳児の頃のものなのです。

 

 

近年では、胎内記憶を持つ子ども達や、それ以前の母親のお腹に宿る前の記憶などを持つ子ども達が一定の割合で存在すると言われています。

その子ども達と比べれば、特段不思議な話でも無いのかもしれませんが、少なくとも僕の身近な人たちからは、同じ様な話を聞くことはありませんでした。

 

ただ、この時期の思い出からは、愛に包まれた幸せなエネルギーが伝わって来て、思い浮かべる度にとても心が落ち着くのです。
きっと僕の人生の中で、最も安心で穏やかな時間だったのでしょう。

 


ここまでの話は、僕にとっては生まれた時から当たり前の事であり、温かな思い出でもあります。
でも、後年こういった思い出話をすると、親に酷く叱られました。
「何でそんな嘘をつくのか!」
「きっと、誰かから聞いた話を使って作り話をしているんだ」
「外では絶対にそんな話はするな!」
などと、烈火の如く怒り出すのです。
ちょっと残念な事ではありますが、一般的な常識の枠の中では、仕方のない事なのだと思います。

 


全般的にはこのように記憶しています。

しかしその後、ある一時期だけ、僕の記憶にもちょっとした変化が現れることになるのですが、それもまた今思えばなかなかと面白い体験でした。


この話の続きも含めて、これからまた少しずつスピリチュアルな話を語っていきます🍀

  

           Noah