渕上吉男氏による「外国の街角で日本を振り返る」(風詠社)という本がある。この中で著者は、ベルリン中心部にある、(ナチスドイツにより殺害された)ユダヤ人追悼施設がドイツ連邦議会の決議により建設されたいきさつを記している。そして著者は、それに続いて日本の侵略戦争・植民地支配の犠牲者を哀悼するための記念施設が国会の決議によって作られる日は一体いつ来るのだろうか、日本とドイツの落差はあまりにも大きい、とも記しているのである。

 日本は明治以降アジア太平洋戦争終結まで、対外膨張主義・帝国主義の道を進み、多くの人々、特にアジアの近隣諸国、中でも中国と朝鮮半島の人々を多数殺害してきた。戦争による殺害ばかりではない。1907(明治40)年、日本の韓国支配強化に対する武装蜂起が起こり、多数の「義兵」が日本軍により殺害された。結局、韓国は19

10(明治43)年に日本に併合された。

 第1次世界大戦後、米国のウイルソン大統領の「民族自決」の主張を伝え聞いた朝鮮の人たちが3・1独立運動(1919(大正8)年)に立ち上がり、多数の人たちが日本軍に虐殺された。さらに1923(大正12)年関東大震災の際には、在日朝鮮人が井戸に毒を投入したという流言のため、約6000人が殺害されたという。

 アジア太平洋戦争末期には朝鮮にも徴兵制が適用され多数の若者が戦場に送られた。中国では十五年戦争の時代、日本軍は広大な地域を占領し民間人を含む約2000万人の人たちを殺害したという。また、朝鮮・中国から多数の人々が強制連行され危険な仕事を強いられ多くの死者を出した。(以上、渕上氏のほかは、拙者「かえりみる日本近代史とその負の遺産」(寿郎社)による。)

 これらの日本による近隣諸国の人々への加害を考える時、国会決議により犠牲者たちに対する謝罪と追悼の施設を建設することは当然だと考える。さらに国会内に日本軍「慰安婦」像を設置することで過去の罪を想起し未来への戒めとすることを願う。

 このようなことを書くと「頭がおかしい」と批判される人もいるかもしれない。

しかし、私はいま93歳だが、戦争の時代を知っているものの責任として、過去の加害を伝える必要があると思っている。日本がドイツのような追悼施設を建てるような気持になることによって、アジアの近隣諸国の人々との真の和解が実現に近づくということを、後世の人々に伝えておきたいと切に思っている。

 それは決して自虐ではない。日本が自らの過去に対して責任を取り、人類の普遍的な倫理に立つ国にいくらかでも近づいてほしいと願うからである。

 

                                ー玖村敦彦ー