こんばんは
前回のブログでは自分の看護観について、なんだか変な文章になりましたが、、
読んでくださった方ありがとうございます。
家族からのお手紙、実は自病棟の副看護師長が、あなたの名前も載っていたよと見せてくれたものでした。
その後少し副師長や先輩と話して、
家族がこの文章を書いてくれたことが大きいな一歩であることを話してくださいました。患者自身が自宅で過ごしている間に、わたしのことを感謝するようにお話ししてくれていたのだと。
この患者が終末期になりそうと言われていた頃、私はその患者の入院受けをしたことがあります。その際、患者から「退院はいつになるかね。お家でのんびりもしたいよ」と少し悲しそうな顔でわたしに話してくださいました。その後、患者が医師に自分の思いを綴った紙を渡していました。その中には「外来の頻度が高くなってもいいから、自宅から通うことはできないか」という内容でした。
医師に退院の日付はいつごろになりそうか確認したところ、患者の思いを綴ったかみを見せていただきこんな言葉を言われました。
「あなたはどうしたい?自宅に帰りたいって言ってるけど、それでいいと思う?」
悩んでいるところにさらに
「直感でいいの。たくさん関わってるから、感情論でもいいのよ。どうしてあげたい?」
私はその言葉に対して「帰れるのなら帰してあげたいです。お子さん、お孫さんと最期を過ごしてもらいたいです。」と返しました。
その一言で薬の投与が終わり次第退院することになりました。
当時のわたしにとって、自分の意見を発することは恐怖そのものでしたが、患者、家族からこんな風に思われていたことを知り、患者のためを思って行う行動も、大切であることを今では感じています。
こう思い返していると、最近少し投げやりになり始めていた自分の看護が恥ずかしく思えてきました。
どんな患者も頑張っているのだから、私たちは診療の補助として、療養上の世話として、患者のためになることは少しでも真摯に向き合って、関わっていけるようにしたいと思いました。
また拙い文章を読んでくださりありがとうございました。
自分の思い描く看護、目標は明らかにはなっていませんが、学生時代に思い描いていた理想の一部、見失わないようにしていきたいですね。