今日の金曜ロードーショーで聲の形が放送されました。
わたしこの作品すごく好きなんです。
ジャンルは恋愛らしいんですけど、恋愛観点から見たことは一度もないんですよね笑
ただただこういう子いるな、こんな現実あるなと思って見てしまいます。
これまであまり何も感じて生きていない人には刺さらないのだなと色々な考察を見て思いました。
率先していじめに行く子、
わたしはやってないと言っているけど、いじめを止めようとしなかった人
傍観者
加害者
被害者
聴覚障害者であることが重要ではなく、自分のことを他人に伝えられない、考えを伝えられないことがこうなってしまう原因なのかなと思います。
確かに始まりは目新しい障害者というもので興味を持たれたのかもしれないけれど、
原因はそこじゃない。過保護になりすぎる親や、無責任な教師、責任のなすりつけ合い、
いろんな人が目を背けたくなる現実に真っ正面から向き合っている映画かなと思います。
主人公のしょうやはいじめていた側から一気にいじめられる側へ、
これが現実に起こること自体、あまりないことのように感じます。
最近いじめがあったことを認める学校がでてきましたが、
やっぱりいじめがなくなるなんてことはなくて、
やっぱり難しいなと思いました。
人の目線が怖くて人の顔が見れない、
経験したことある人にはわかる。
わからない人にはわからない。
刺さる人には刺さるなと思います。
本人の心に刺さって、心から自分の間違いを認識して、
そこから変わろうと努力することが大切なんだろうなと思いました。
伝えたいことが伝わってるかわからないけど……
一緒にとか、みんなでとか
そういうのもすごい刺さるし、
声ってやっぱり大きな力を持っていて、
それぞれの言葉でそれぞれの形があって、
だからこそ、
それを知ってもらいたいし、
一つの言葉だけでも、誰かを傷つけるのには十分なんだよってことをたくさんの人に知ってもらいたいと思いました。