ども!めぐさんです(*´︶`*)ノ

前回の更新以降
更に色々と気づきが起きて明らかになって来ています。

その中でも、先日16日に友人と月1のランチ会をした時の気づきは鼻息がフンガフンガするほどのもので

本当に気づきたくないところを刺されるような痛みもありつつ
そんなことよりも、本当のところに気づけた快感の方が勝って

別れ際には「もっとコアのところまでぶっ刺さるくらいの気づきが欲しい!じゃないと、人生本気で変えられない!!フンガフンガが足りない!」と、叫び出すほどでした。

そして案の定、数時間後には気づきによって後戻りもできないことから、
人生が変わってしまう恐怖に苛まれw
翌日には尋常じゃない眠気で1日中寝てしまい
やっと、今日復活したところです。

さて、その中でも気づきのトリガーになった出来事を探っていけば
やはり、先月末に配信されたサトユミ先生の有料メルマガでのワークではあるのですが
その勢いをさらに深めたのは、先日配信されたこれまたサトユミ先生の無料メルマガでした。

その中で、無意識と空間は繋がっていることから、空間を仕切ることが大切だと書かれていたことにピン!ときて、速攻で実践したその夜から
とんでもない気づきが勝手に起きたのです。




  約90%側の嘘で生きていた。



サトユミ先生がたまにブログやメルマガなどで言っている言葉があります。


それは


「私はこれがやりたいです」と願う人は多い


が、しかし!


90%近くが「ニセモノの願い」である



ということです。



これまでの私は、実にその90%側の人間であり、

ニセモノの願望に対して執着していたという事に気がついてしまったわけです。



まず、14日に空間を仕切るという事を実践し、その夜、ベッドで横になって数分もしないうちに


とても重大な気づきが突然やってきたのです。


私は恐怖におののきました。


なぜならそれを認めてしまったら、これまでの全てが嘘だったと認めてしまうことになるからです。


しかし、ここで気づきを受け入れ退路を断つことをしなければ、人生は変わらないと思い


その気づきを受け入れることにしました。




その突然起こった気づきというのが



普通である私を受け入れていなかった。



ということでした。


そんな気づきによる恐怖を受け入れている途中で私は眠ってしまったのです。






  私にとっての最強のパワースポット




次の日、突然、父とドライブに行く流れが起きました。


最初は美瑛の青い池に行くことになったのですが、

途中、父の気が突然変わって急遽積丹方面へ行くことになりました。


じつは、青い池かー、本当は積丹行きたかったんだよな、まぁいっか。


と、思ってたので、内心喜びました。



そして、その道中の気づきに次ぐ気づきに私は夢中になっていました。



そこで気づいたのは



私は無意識のうちに

自分が特別であることを証明しようとしていた。



ということでした。



だからこそ、普通であることを受け入れていなかったのです。


そして、全ての基準が特別という概念から派生されるため


私に起こる全ての出来事

外見や内面へのコンプレックス

才能に対する考え方


などなど、あらゆる物事の判断基準が全て



私は特別である、を証明する道具として見ていたのです。



それは何故かと言うと、注目を集めるためです。


ここでも、両親の愛(承認)を受け取りたかった自分に気が付きました。


そう、これまでの全ての言動の動機が


特別な私ならば注目される!だから、特別な私を証明する!


だったのです。



自分自身の全てを無意識のうちに特別視していたので


現実に対する理解力も、

自分に対する理解力も、

本当のところでは発揮できておらず


特別視というバイアスがかかっているため


私にとっての認知が歪んでしまうので、そこからあらゆる歪みが発生し


例えば、私にとって自分がブサイクであることが普通なのに受け入れられないからこそコンプレックスとして特別視して認識したり(特別視してないと私ってばブサイクでいや!とか思わない。いまは、ブサイクですが何か?デブですが何か?ですw)


突然覚醒したスピ能力を特別視しているからこそ

20年努力したつもりになって結果がついてこないとか嘆く。(スピ的な感覚を持つのはただの才能)


鬱病だったけど薬も使わず復活した、(色々情報が入って運が良かっただけ)とか


イラストが書けるとか(現実逃避できるからやってただけ)


なんやかんや特別視というバイアスから見ていたので


自分の才能やらなんやらを発揮する事もままならず


過去の栄光に縋る私を地で行く羽目になっていたのです。



そりゃ、90%の嘘にまみれるに決まっているでしょうwww



なぜなら、


特別という基準は、自分ではなく他者の世界との比較で起きる歪んだ認知だからです。


特別という感覚は、そもそものところ

他者との関わりの中での被害者意識や依存から派生してくるものだからです。


簡単に言えば、他人軸ってこと。



なんだ、私ってば

世間の基準にずっと踊らされていただけなんじゃん。

くだらなー!



そんな気づきが起きたタイミングで、

私にとってのパワースポットである神威岬に到着したのでした。






  この感覚も、私にとっては日常。




神威岬に到着した私は


あ、そういえば、と思い出したかのように今回の気づきのことを神威岬という空間全体(神様みたいな?)に報告しました。


するとすぐさま、体の奥から

ドンドコ!(ง ˙˘˙ )วドンドコ!(ง ˙˘˙ )วみたいな

重低音的な太鼓の感覚が鳴り響き、

うぉぉぉおおおおおおお!!という

まるで、鬨の声が鳴り響く感覚に襲われました。


まさに


コイツ、遂にやりおったぞー!


的なwww



その感覚に襲われながらも

その漢らしい?w祝福のエネルギーを感じつつ


これも、私にとっての普通であって日常なんだよなぁ。今まで、なんであんなに特別視してたんだろなー。


なんて感じながら、

共和町方面へ向かう車の中でボケーッと景色を見ていたら


全てに神が宿っている感覚が湧き上がり


目にする雄大な山々や、草木、鳥や海


全てが神だであり、全てが等しく繋がっていると言う感覚に


アイヌの人たちってこういう世界観で生きていたのかもな、そして、これが日常だったのかもな。


と、ふと感じたのでした。


そして、久々の中山峠へ向かう道中では(いつもは支笏湖経由で帰宅)


やっぱり、ここ、龍いるよなー、めっちゃエネルギー流れてるやん、みたいな感覚を感じ

見えないだけで確実に存在しているんだよな、なんて感じながらも


感謝にまみれた最高のドライブを楽しんだのでした。





  止まらないフンガ!の連続にテンションMAX




翌日、友人との月1ランチ会でも、気づきが起きました。



それがもっとも衝撃的だったように思いますwww



その気づきは、



なぜ、私が10年以上続けてきていたスピリチュアルなお仕事を突然やめたのか?



の、本当の理由でした。


実際、私がなぜやめたのか、本当のところでは理解していなかったのです。


感覚的に言えば


もう無理!絶対無理!


という感覚になったからレベルでしかわかっていなかったのです。気づいた今でも無理ですよwww



そのやめた理由に気づかせてくれたのは、紛うことなき月1ランチ会をするほどに


共にサトユミ先生ネタや心や気づきに関して議論することが好きな友人。


その友人のここ数年での大変化の軌跡が物語っていました。



長くなるので続きは次回にしようと思います。



そんな感じで、めぐさんでした(*´︶`*)ノ