それでもそれをする理由。 | 障害がある子の「母」として生きるということ

障害がある子の「母」として生きるということ

3人の子どもを育てながら精神科看護師のお仕事を24年。
散々試行錯誤してきた上2人の子育て経験を活かして、
支援級(知的クラス)に通う息子の子育てに奔走中。
2024年9月次女が交通事故にて重症を負いICUにて治療後現在は一般病棟へ転棟しました。

お元気様です♪

MIWAです。


新しい朝ドラ始まりましたね✨



金曜日娘のお見舞いをパパにおまかせして

午後から少し休息の時間をもらいました。


新しく始まった朝ドラをみれていなかったので、

一気見しました。


詳しいあらすじは省略しますが、

主人公のこの言葉が私の心に突き刺さりました。


「いくら楽しくてもなくなっちゃうかもしれんし。」


主人公の女の子は
阪神・淡路大震災の被災者のようです。

今まで積み重ねてきたものが、
一瞬で壊れてしまう。
そんな経験から出た↑の言葉のようです。

私も次女が事故に遭ってから
次女が今まで積み上げてきたものが
一瞬で奪い去られてしまったことが
1番気になっていました。

去年は大学受験のために
朝から夜まで塾に行き
やりたいことも我慢して受験勉強に励んでいました。

たくさんの我慢は大学に合格することで
報われたとは思います。

しかし事故後大学生の記憶がなくなって
しまった次女。

学生証や入学式の写真を見ても
大学生になったことを信じられないようです。

受験勉強のために塾に通っていたことも
忘れてしまいました。

何のためにあんな思いをして
次女は頑張ってきたのか。

突然失われるもののために
あんなに頑張らせる必要はあったのか。

本当は次女は望んでいなかったのか。

答えの出ない問いが頭の中をぐるぐると
巡ります。

唯一の救いは
事故に遭う少し前に
次女が今が人生で1番幸せだと
言っていたこと。
人生に満足していたこと。

たとえ失われる未来であったとしても、
その人生に満足していた事実があった。

だからたとえ失われる未来であったとしても
今この瞬間経験している今は
決して無駄にはならない。

人は「今」に生きています。

「過去」でも「未来」でもなく
「今」

「今」は誰にも奪われません。

そうであるならば
「今」
自分の最善を生きる。

「今」を大切に生きる。

私のブログは今は書いていないけど、
以前はこんな始まりでした。

「今を大切に生きるあなたへ」
不思議ですね。

人生には色々なことが起きる。

だからこそ「今」を大切に。
「今」を生きていきましょうね。

いつも心に太陽を
最後まで読んでくれてありがとう😊

MIWA