色々なことが、場面が甦る。
これほど、はっきりと頭の中で映像化される店はあっただろうか。
それが、愛され続けた秘密なのかもしれない。
さて、昨日のつつぎだが、
ふたりいるあじさんのうちの、手持ち無沙汰のように立っていたもう一方のおじさんが、
やっと出番がきたというふうに、少なめのどんぶりを持ち上げ、
先客のほうへ差し出した。
「おっ、ツイている。こちのものだ」とニヤッと内心思う。
そして、多めのどんぶりがオッサンの前に。
「げっ!!」
そこに見た光景は、どっぷりとスープの中に浸かった、オヤジの親指。
どう見ても、業としか思えないどんぶりの縁から内へと、第二間接から曲がった親指。
いっきに食欲減退。
(のちに、あれは業にあらず、技として平気に思うえてしまう人間の性とは恐ろしや)
一口食べて、「ちょっと湯で時間が」の不安が的中した。
粉っぽい、硬い。
先客の方を覗き見ると、何事もなく平然と食べているではないか。
といことは、これがこの店の流儀なのか。
朱に交われば、ではなく、郷に入っては郷に従えで、ふた口め。
今度は、やや軟らかい。これが先客の麺だな、などと思い食らう。
全体的に半生風で粉っぽい麺が、オッサンの胃袋を占領していく。
多めのどんぶりが恨めしくなってくる。
普段は割りと早食いのだが、なかなか進まない。それに従い、
麺がだんだんと食べやすくなってきた。
ここまで、おやじさんの読みは深かったのかと、妙に感心しながら、
気がつけば、スープも残り少なくなっていた。
胃がもたれつつ、金を払う。
320円。
もやし追加が30円、たまごが50円
たまごは、固ゆでもあるが、茹でている鍋に直接生卵を割り入れる半熟は名人芸。
ラーメンと書いてきたが、記憶が定かではないが、かべに貼られた品書きは
「支那そば 320円」 だったような気がする。
なんどか値上げしたが、しばらくは値段のところだけが張り替えられていた。
今は、新しく書き直され、ラーメンとなっている。
三鷹を離れて一年になるが、一度も足を運ばなかったのが、今となっては悔いが残る。