2024年6月21日(金)
昨日のブログを読んでくれたnagiちゃんからのラインのメッセージが
ありがたくって泣けた
自分の中に、理不尽さがあるって、
理不尽に苦しんできたわたしにとって、認めたくないことだ
でも、まさに「ある」ってわかっちゃうんだよな~
あらがえない
そして、「ある」って気づいてしまうと、めちゃスッキリしちゃうの
だから落ち込んだりはしていなかったんだけど~
nagiちゃんからのライン
わたしの中の理不尽という男性性が邪魔している。
わたしがもっと許していけば、社長がわたしに敵意を抱かなくなるよ!
それ見て、驚いた
そうだ、わたしは社長に敵意を持っている
これも隠された敵意だ
(nagiちゃんになんて言ったことない、わたしさえ気づいていないんだから)
経営者の器のない、昭和な人
自分の好き嫌いで人を見る
愚かな行い、心無い態度をたくさん見てきた
だから、軽蔑に近い気持ちがあった
無意識は伝わる
そのわたしの無意識
伝わってるよね~
nagiちゃんは敵意と敵意は弾き合うってさ~
めちゃ納得
そりゃ、私の査定に高評価になんてするわけないね
これから、わたしは相手の理不尽さを見て、
自分の理不尽さを許していけばいいだけだよと言ってくれた
そして、加藤先生の本のスクショを送ってくれた
そのスクショ
加藤先生の本、以前に読んでる(どの本だか忘れてる)
今のわたしのシーンにピッタリだ
その人がどのような環境に生まれてくるかということは、その人の責任ではない。
どのような運命を背負って生まれてきたかということは、その人の責任ではない。
重大なのは、その後のその人の人生に対する態度である。
人生は不公平であるが、自らの人生にどうゆう態度をとったかということで、その人の偉大さは決まる。
自らの人生にどうゆう態度をとったかには責任がある。
以前に読んでいるのに、
今、自分がまさに体験している時に読むと
ジーンと泣けてくる
本当だね、nagiちゃん
理不尽なこの地球で、
理不尽な父親からの理不尽に耐え
自分が理不尽になってしまったことは
自分の責任ではない。
自分の人生で、その理不尽に向き合い、どうゆう態度をとるかは私の責任
嘆く必要もなく、恥じることもなく、
わたしは自らの人生で、これまでやってきた理不尽さを許し、
理不尽な自分をやめていくだけ。
自らの人生にどうゆう態度をとるか!
これって常に意識して生きていきたい
わたしは愛ある人になりたいよ