中学校2年生の途中でバレー部を辞めて、

受験勉強を始めた私は、

高校は第一希望の私立の女子高に合格できた。

 

合格通知書が電報で届いたときは、

今まで生きてきた中で一番うれしい出来事だった。

 

 

高校では女子高だったが、

いじめはほとんどない、明るい女子高だった。

弱いながらもバレー部に入部し練習に明け暮れ、

まさに青春を過ごした。

 

 

毎年の文化祭、体育祭を楽しんだ。

高校3年間、舞台で歌を披露した。

そして高校3年生の時は文化祭実行委員長に立候補し、

楽しく高校時代を締めくくった。

 

 

 

 

実はこの高校生時代に出会った人がいる。

この人との出会いが、

私の人生を狂わせていく。。。

 

 

 

 

 

彼とは目の前に住む先輩のナオミちゃんに

その当時流行ったディスコに連れて行ってもらい

その日にナンパされるという出会いだった。

 

 

彼は慶応大学生

長身でスレンダーいわゆる「3高の彼」だった。

私にとっては本当に理想の彼のようだった。

ご家族は税理士事務所を開いていて、

うちの家族からしたら、お金持ちに見えてしまった。

 

 

私は彼に夢中になったよ。

自分の人生を変えてくれる王子様に見えたんだ。

 

 

そして高校を卒業し、

短大に進んでも彼と付き合っていた私は、

両親の反対に合う。

 

 

 

なんせ厳格な父。

門限が厳しかった。

 

実は小学校から門限があったのだ。

 

小学校の門限 16時

中学校の門限 18時

高校生の門限 20時

短大時代の門限はなんと21時

 

 

つまりその当時流行った東京ディズニーランドで

エレクトリカルパレードを見て帰れなかった。

舞浜から帰るには1時間30分はかかる自宅だったから。

 

 

この門限は彼とのデートの妨げとなった。

彼はいつも文句を言った。

そして両親に従う私が歯がゆいようだった。

私は両親と彼の板挟みとなって苦しんだ。

 

 

その状況で、よく門限に間に合わないデートが多くなった。

 

 

母がよく、通りに出て

まだかまだかと私を待っていることがあった。

 

 

そして、門限破りが帰ると

父のお説教。。。

 

 

そして、母は

「お母さんが怒られるから、帰ってきてよ。」

「あんたのせいで、喧嘩ばかりよ」

 

 

いつも父におびえている母だった。

 

 

 

 

門限だけではない。

今は無いに等しい、家電話。

彼と会わないときは電話デートとなるのだが、

彼との長電話の電話代が

わが家の家計を圧迫するようになる。

それも母を困らせた。

 

 

 

 

私はこの頃になると、

その彼という味方を得て、

両親に対して反抗するようなる。

「おかしい」って気が付き始めた。

そして、抜け出したかった。

自由になりたかった。

 

 

 

 

 

 

 

私は自分の未来を彼に賭けていた。

この暗黒な自宅を出たかった。

 

こんな家庭が嫌だった。

 

 

 

 

 

私は彼に賭けた。

 

そして家を出た。

 

 

 

つづく。