涙は弱さじゃない。だからそのまま前に進んで大丈夫。 | 内田琴美official blog

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サステナブルパールジュエリー女性社長の日常。

やりたいことをやっていくとき、

チャレンジをしていくとき

自分自身は変容していきます。

 

そうすると、

合わなくなった方との人間関係は、

どうあがいても終息していきます。

 

それは自然なことであり、

どちらかが悪いということはなく

それぞれの人生のステージにおいて必然のことだと感じています。

 

 

 

 

 

 

 

最近、あるビジネスパートナーの方と関係を終わりにさせていただきました。

 

そのことについて私は自分が決めたことですし、前向きなのですが、お客様や関係者各位に対してネガティブな噂が流されているようです。

 

普段だったら書くまでもないと、

一人で処理することなのですが

 

変化の時に起こる人間関係の問題として

よくある出来事だと感じているので、

未来これを読む同じ境遇の方のためにも

記しておきたくなりました。

 

私が言いたいことは、荒波が立っても

そのまま前に進んで大丈夫、ということです。

 

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その方とビジネスの関係性を終わりにしたことについて、

 

・メンタルが病んでおかしくなった

・過去も会社員時代メンタルになっているからそういう癖のある人

・あの程度の仕事で本当にタワマンの家賃が払えているのか

・関係者に心配されるような振る舞いをして、自分の立場がわかっていない。

・〇〇さんも琴美さんのことを本当は悪く言っている

 

 

などなど報告がなされているようでした。

なぜそんなこと?と思うようなことばかりですが、それをせっせと私の大切なお客様にわざわざ伝えて回ってらっしゃるようでした。

 

どういう思考回路でその解釈に飛躍するのか?私には理解が及びませんが、この手のゴシップじみた噂が広がって、人が離れていくということをこれまでも何度も経験してきています。

 

誰かとの関係が終焉すると、その方の周囲の人間関係は一掃され、一緒に作り上げてきたビジネスも壊れる。これは自然の摂理と感じておりますので、この流れに抵抗するつもりはありません。

 

その方と近い未来終わりになると感じた時点で、

 

2年半で作り上げてきた人間関係が崩壊するもしれない

2年半で作り上げてきたビジネスが自分のもとから消えるもしれない

みんなが私から離れていくかもしれない

 

もしそんな未来になったとしても

私はそれを受け入れよう

 

 

 

その上で

決めたことではありました。

 

 

 

人は、相手を悪く言うことによって相対的に自分の正当性を証明したくなります。

これはよくある自己防衛本能であり、私にだってそういう部分があります。

 

予想通りではあるけれど、私は悔しいのです。

そう言わせてしまう自分自身が悔しい。

そして何よりも、これによって傷つくことを許可している自分自身が悔しい。

 

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今日はトークライブで講師をした後、

1時間ほど大崎の駅で泣きました。

 

こうやって泣くことについても

「精神不安定」と言われることもあります。

 

そう言われたって

泣きたい時はあるのです。

 

何をやったって、

何をやらなくたって

 

人前に立って生きている以上、

観察の対象になり

何らかの噂の対象にはなるのです。

 

 

 

 

 

 

ブレたくない。

軸をもって生きてゆきたい。

よそ見をするな。

 

今、意識を立て直して

まっすぐに進んで行きたい。

 

そう思っています。

 

けれど

それでもやっぱり

 

当たり前に悲しくなって

当たり前に傷ついて

 

「琴美はそのままで大丈夫だよ」

と、ふと誰かに守ってもらいたくなる時もあります。

 

 

 

 

 

 

 

心は、筋肉と同じで

痛めるたびに強くなります。

 

痛めて、それをリカバリーしていく

 

その繰り返しで成長していくのです。

 

私は

いろいろな経験をしておりまして

 

・過去自分が適応障害になったことが二回

・お金がなくなったこと

・離婚をしたこと

 

があります。

 

けれど

その時その時自分を克服して今があるから、

 

・メンタルにならなかった人生より

・お金がなくならなかった人生より

・離婚をしなかった人生より

 

それを超えた今の方が、 

 

よっぽど経験が深くなり

感じる心が豊かになり

私はその経験にとても感謝をしているのです。

 

(それ自体を推奨している訳ではありません。あくまで私はそう捉えている、という話です)

 

 

適応障害や過去の失敗体験について

過去の色々なことを今更引っ張ってきて、

浅はかな噂を流されることを

非常に残念に思います。

 

そして何よりも

そんなことに惑わされている自分自身が

一番残念です。

 

 

 

 

不動でいられるよう、

高い次元にいこう

 

と決意を新たにした日でもありました。

 

そして強くなる。

 

誰かが私を傷つけたくても

手の届かないところに行く。

 

 

 

 

  

 

 

 

このように、

 

心の純度に従って

自分らしく生きることは

恐怖に感じることの連続です。

 

何を得るか?

その代わりに何を失うか?

 

失うものを、

先に決めていかなければなりません。

 

そしてそれは

その時の自分にとって非常に大切に感じるものであることがほとんど。

 

失うものが大きすぎる。

 

ありとあらゆるものを失ってでも、

その先に行きたいのか?

 

試されます。

 

試されて

失って

越えていくから

 

その先の世界が開けます。

 

 

 

 

失った以上の世界を必ず手にする。

 

格好がつかなくても

人と離れることになっても

 

私には、手にしたい未来があります。

だから必ず、その先の未来を手にします。

 

 

 

 

そして、力を愛に変えて

世の中に波及させていきます。

 

 

 

 

それに必要な心の経験を、

たくさんの方を巻き込んで

経験させていただいている

 

 

その日々に感謝いたします。