ありえない日々

ありえない日々

日常のあれこれを勝手気ままに綴っていこうと思います!!

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旦那のボーナスもらってないって普通じゃなかったんだ。

ちょっと前、学生時代からの友達と電話で話してて旦那のボーナスの話になった。

友達は結婚してからずっと夏冬のボーナス時は5万円もらっているそう。ちなみに、ずっとパートで働いてて基本全部お小遣い。


私、結婚して3年目だけど旦那からボーナス時に1度もお金もらってない。

しかも、妊娠中に会社でコロナのクラスターが発生したのをきっかけに退職して、いま失業保険もらっている身なのに。


友達にその事を話したら、かなりびっくりされた。

その後、旦那にボーナス時は私も5万円欲しいと申し出たところ、去年の下半期は営業成績が良くなくてノルマ達成できなかったから多分ボーナス少ない、5万円は無理、支給金額を見てから考える、との事。


会社自体がウクライナの関係で業績下がってるから(旦那の会社はプラスチック系のメーカー)ボーナスは期待できない、とも。


そして、季節は春から夏になりボーナスの時期に!

旦那の会社はお盆前にボーナスが入る。(もう、この時点で零細企業だよ…😭大手は6月に入るんだよ⁉︎)

一向に何も言ってこない。

気がつけばお盆は目の前!


今朝、意を決して、けれど気にしてない風を装って朝イチの息子👶のオムツ替えをしながら聞いてみました。

私:「そういえば、ボーナスって入ったの?🌸」

旦那:「あぁ、入ったよ」

私:(黙ってたんかい)「良かったねー!それで前に話してた私がもらえる分は?☺️」

旦那:「ごめん。無理」

私:「………なんで?」


理由は前述の通り。

旦那:「みんな少ないって騒いでたよ」


いやいやいや、確かにそうかも知れないけど、そもそもあなたの営業成績が悪かったんじゃ?

それと私のもらえる分が0円なのは別の話じゃないか?

っていうか、私が聞かなかったからボーナスのことずっと黙ってるつもりだっただろ!!!!


結局、1.9ヶ月分支給だったそう。(通常は2ヶ月分。これだって、もうちょっと何とかならないのかと思うけど)


ちなみに、我が家は別財布。

旦那は自分の通帳を未だに岐阜の父親に管理してもらってる。

その他にも日常的にかなり諸々援助してもらってることが判明済。


そして今夜、子どもを寝かしつけながら

私:「これからは世帯としての貯金作っていこうよ!ますますお金かかるようになるよ?」

旦那:「それ言うなら前みたいに出張に行かせてくれれば、毎月1万円か2万円くらいは給料増えるよ」

私:「はあ⁉︎」


旦那には一切期待できません。

秋から子どもを保育園に預けて復職しようと思ってるけど、こうなったら時給の高い仕事に就いて、旦那なんか頼らない!

CADオペレーターの資格持ってるし、少しなら経験あるからそれで働く!

もしくは金融系のコールセンターで働く!


旦那より稼いでやる!!!!

そんなことを思い、眠れない真夏の夜でした🌃✨



お久しぶりです!

前回のかなりハードな投稿から早いもので10ヶ月。

無事、男の子が生まれました!☺️

いまはもう8ヶ月です!


フォロワーさんには報告したいと思っていたのに、すっかり遅くなってしまいすみません🙇‍♀️

そして、新たにフォロワーになってくれた方へ。

このブログを見つけていただきありがとうございます!✨✨


札幌に帰ってからの日々とか出産のこととか育児のこととか色々書きたかったけれど、いざ生まれると、もうメチャクチャ時間がない😭

そして、まさかの旦那の転勤で3月には札幌→仙台へお引越し✈️

4ヶ月の赤ちゃん連れて飛行機で引っ越しでした😅(何の因果か3月11日の14時30分頃に仙台空港着でした)


仙台はもともと地元ってこともあり、3年ぶりに友人と会ったり、私にとっては懐かしいお店に今度は家族で買い物に行ったり、慌ただしい日々を過ごしてます。


今日、なんとか時間ができたのでこうしてブログを書いています。

育児系のブログ書いてる方、一体いつ書く時間なんてあるんだろう…


次はいつ更新できるか分からないけれど、先輩ママさんや男の子ベビーのママ、月齢が近いベビーのママさんと繋がれたらいいなぁって思います。




訳あって札幌の自宅に帰ってきました。

ほんと、妊娠9ヶ月でお腹も大きくなってから帰ることになるとは思わなかった。


理由は、父と母の喧嘩の仲裁に入って父と揉み合いになり、倒されたのか弾みなのか覚えてないけれど、玄関のたたきにお腹から転倒して、救急車騒ぎになったから。


母は金切り声で叫ぶだけだった。

父は子供が泣くみたいに顔をくしゃくしゃにして、廊下にダンゴムシみたいに背中を丸めて這いつくばって「どうして俺ばっかりなんだーーー!!!!」と叫ぶだけだった。


私は妙に冷めた頭でそれらを横目で眺めながら次の行動を考えた。


出血もなかったし、お腹も張ってなかったけど、妊娠9ヶ月。お腹の中で何が起こってるか分からなかったから自分で救急車を呼ぶことにした。


父と母はまだ廊下で言い争いをしてる。

母は「救急車」と叫び、父は「自分が車で送る、頼むから救急車はやめてくれ」と。


私は2人を無視して携帯を手に取った。

119を押した後は、自分でも驚くほど冷静に住所、名前、電話番号、状況を伝えていた。


10分後、ちょっと離れたところでサイレンを消した救急車が到着した。


救急車には母も乗った。父は奥の部屋に逃げて出てこなかった。

救急隊に妊婦健診でお世話になっている病院へ搬送してほしいと伝え、無事に病院に着いた。


診断の結果は、ここでは言いたくない。

ただ、赤ちゃんも私も運良く、ほんとに運良く無事だった。


担当してくれた医師、看護師、助産師の方、関わってくれた病院関係者の方々ありがとうございました。

病院が出した結論は「札幌の自宅に帰ることを勧める」

FAXで紹介状を出してくれ、33週ギリギリで札幌の病院に転院することができた。


札幌に帰ってこれて良かった。

旦那さんが秋田まで迎えに来てくれた。

車→飛行機→車を乗り継いで自宅に帰るまで、無事に辿り着けるか怖かった。


たぶん、もうしばらくは秋田には行かない。

旦那さんがいるから、いまの私は守られている。

強く生きていこうと思った。