大阪に来て一年経つというのに、思い返せば串かつを食べたことがなかった。急にどうしても串かつが食べたくなって、急遽串かつを食らいに新世界へ行った。2日ほど前の話

新世界にはもう何度も行ってるし、新世界といえば串かつなのに、串かつを今まで食べなかった私は本当にそこで何をしてきたのか、自分でさえ理解に苦しむ。
ただビリケンを愛でて帰ってきてただけじゃないか。

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カマンベールチーズの串かつが堪らなくうまかった。

たまにはそんな人間らしい話もいいかなって。


もう夏ですね



昨日書いた記事が、以前書いた記事から約1年ぶりということに気づき、
月並みな感想ではあるが、時が経つのは物凄く早いなぁと感じた。


私は何をして過ごしてきただろう。
1月くらいまでの記憶ならある。それ以降何もしてこなかったというわけではないが特にこれといってここに書くことが思いつかない。

もしかしたら私は1月からやってきたのかもしれない。


皆さんはこの一年間何をして過ごしましたか。

昔から思い出話を上手く話しに盛り込む人には敬意を抱いている。

おそらく、そういった人は自分のことを伝えたい誰かの顔を思い浮かべながら文章を書き出しているのではないでしょうか。
自分の思い出と、感情を共有したい誰かに向けて。

頭の中小さく逡巡して、 試行錯誤しながら要所要所を切り取る。そうして自分の思い出を他の誰かに向けた作品としてまた新しく完成させる。

ここまでしっかり完遂されているから、記憶の整理整頓が上手で、言葉として出来事を表現できるのだろう。


あの手この手で現状と思い出を結びつける人をみる度にその能力に感嘆する。


その前に、私は日常を怯えながら過ごすのを辞めなければならない。

生活を俯瞰しながら見つめることも、覚えていかなければならない。

子供の頃はそれが難なくできていた気がする。

弱い人間ほど去勢張って生きていかなければ、人並みの生活はできないと思っていたが、強ち間違いでもないようだ。強がりでも何でも、去勢張っていればそれなりに日常はついてくる。疲れたら少し休めばいい。

なにか面白い出来事に出逢いたい。


皆さんは思い出を話したい人がいますか。

お久しぶりです 一年ぶりくらいになりますね。

特に書くこともなかった。


 

そういえば、ふと目についたビンの裏のラベルに、『塩分99%以上』と書いてあり、それって塩じゃんとビックリして表を見たところ見事に塩のビンだった。

 

 この表記は必要なんでしょうか?塩なんだから塩であり、塩分も何も塩に決まってる。

 

 この違和感を別のもので表すと、例えば私が『私分99%以上』と書いたラベルを付けていたらどうでしょうか?私なんだから私であるのに、私の成分を私という単位であらわしているのだ。つまり、私の中の私以外の誰かを意識した上での私の評価というニュアンスを私が考えているという点で、私の中の心理的ヒエラルキーの深みが一層増しています。

 

 塩からずいぶん哲学的な流れになってきましたね。塩から私の全てがわかってしまうのです。これをソルトの知といいます。皆さんもソルト教に入りましょう。



お店屋さん、お洋服 なんていう言い回しがすごく好きだ。

単語ひとつ、言い方がちがうだけで

浮かぶ情景は全く違う。


そういう感性でものを見ることができたら毎日が楽しいんだろうなと思う。



そろそろ買い物にでもいこうかな。自分のための物を暫く買っていない。



自分を前に出しすぎたらそれは寒いだけだけど、

少しくらい自信過剰のほうが良い生き方は出来るんだと思う。

常に自分を卑下していたら、自分の創出したものには他人からも価値を見出してもらえないと思うし

、才能も生まれない。

自身を欠いたままの状態で恐る恐る作品を差し出して「見てください」なんて

欠陥商品の押し売りみたいなものだ。



6日は私の誕生日だった。作業をしながら日を越していて、友達から電話やメールなどを

受けるまでは全く忘れていた。電話に関しては阿呆みたいな声を出して応答していた。

周りの人が思い出させてくれた。毎年祝ってくれて有難う。


中学生くらいまでは、歳を取って大人になっていくことがなんとなく嬉しくて誕生日は楽しみだった。


今は歳をとるのが億劫だ。ただ、こればかりは避けて生きてはいけないので、その一年一年でしか

出来ないことをよく取捨選択しなくてはならない。年齢という囲いがあるだけで、

気持ちの持ちように余裕がなくなる。


10代最後の歳だということが、焦燥感に駆られる一番大きな要因だと思う。

そんな年に自分の誕生日を忘れていたなんて気づくまでの一分一秒が惜しかったな。


ここまで書いておいて言うのも可笑しいかもしれないが、誕生日そのものに対して

何か書いておこうと思うことは、わりとないものだ。


これからも、人と関わって、様々な価値観を反芻していくことは止めず生きて生きたい。