おばあちゃん、ありがとう・・・ | KOTOKOオフィシャルブログ「☆きらきらみっけた晴れ曜日☆」Powered by Ameba

おばあちゃん、ありがとう・・・

今朝、大好きだったおばあちゃんが天に召されました。

92歳の大往生。
若い頃から心臓は悪かったものの、他には大きな病気一つせず、11月6日に倒れるまでは、いつもしゃんとしていて何でも自分でこなす元気なおばあちゃんでした。
6日に倒れ、私が札幌に戻った時には意識不明で、お医者さんからも「もってあと5日くらい」と言われていました。
ツアー中だったので、「これが最後かもしれない。もしかしたらお葬式にも出られないかもしれない・・・・」と思いつつおばあちゃんを見舞って「また来るからね」と声をかけ、後ろ髪を引かれる思いでツアーに出ていたのですが、ツアーから戻ってもおばあちゃんは生きててくれました。
その後も、ほどんど札幌に居れない私でしたが、居るときはほぼ毎日おばあちゃんの顔を見に行っては「またね。」と声をかけて、また札幌を出る・・・そんな日々でした。

今日も先ほど札幌に帰ってきて、「明日会いに行こう」と思っていたところだったのですが・・・先ほど母から知らせがあり、亡くなったことを知りました。。。

きっと私が「またね」って言うから、私が戻るまでは・・・と、ずっと頑張っていてくれたように思います。

私が中1の時におじいちゃんが亡くなり、それ以来、私の実家と棟続きの家で暮らしていたおばあちゃん。
私がこの職業に就いて忙しくしているのも、とても喜び、応援してくれていました。
忙しく親戚の集まりなどになかなか行けず、申し訳なく思っていた私に、
「忙しいことは、良いこと!気にしなくて良いんだよ。」
と、いつも笑って励ましてくれてました。
言いたいことははっきり言う、ピッと背筋を伸ばし、はつらつとした印象だったおばあちゃん。
若い頃は一人で起業したおじいちゃんを手伝い、大勢の従業員のまかないをしていたのもあって、働く女というイメージが強い人でしたが、近年はすっかり腰も曲がっておばあちゃんっぽくなっていたなぁ~。。。と思います。
でも、はっきりとした性格は健在で、私はそんなおばあちゃんが大好きでした。

意識がなくなる前の日、父に「幸せだったよ。」と一言、言ったそうです。
「何かを予感していたのかもしれないね。」と父も言っていました。
とても勘のいい人だったそうです。

最近はずっと、
「おじいちゃんのところへ早く行きたい・・・」
と漏らしていました。
しゃんとした印象のおばあちゃんだったけど、早くにおじいちゃんと離ればなれになって、ずっと寂しかったのでしょう。
きっと、今やっと、おじいちゃんとまた一緒になれて、ホッとしているんじゃないかと思います。

悲しいけど・・・・・
おばあちゃん、良かったね。。。

今までずっと私たち家族を見守ってくれてありがとう。
そしてお疲れ様でした。
天国でおじいちゃんと幸せにね。

おばあちゃん、
私が天国へ行く日まで、
またね。

ばいばい。