「拝仮倭王」
この漢字の羅列の意味をつかむには、ただ漢和辞典でそれを構成する漢字の意味を調べ結合すればいいものではない。

その解釈は現代の日本人が現代の常識の上で作り上げたものだからだ。

ではどうすればいいのか?

一番参考になるのは同じ『三国志』内でどのように使われているのか調べてみることである。

三国志魏書二十六巻に「拝仮」という漢字の並びは出てくるが、その部分だけを注目するのではなく文脈からどのように使われているのか捉えてみよう。

太祖將討袁譚,而柳城烏丸欲出騎助譚。太祖以招嘗領烏丸,遣詣柳城。到,值峭王嚴,以五千騎當遣詣譚。又遼東太守公孫康自稱平州牧,遣使韓忠齎單于印綬往假峭王。峭王大會群長,忠亦在坐。峭王問招:「昔袁公言受天子之命,假我為單于;今曹公復言當更白天子,假我真單于;遼東復持印綬來。如此,誰當為正?」招答曰:「昔袁公承制,得有所拜假;中間違錯,天子命曹公代之,言當白天子,更假真單于,是也。遼東下郡,何得擅稱拜假也?」

太祖曹操は袁譚を討とうとした時、柳城の烏桓が援軍を出し、袁譚を助けようとした。曹操は、牽招がかつて烏桓を仕えていたことがあったので、柳城に行かせた。烏桓の峭王・嚴は、五千騎を袁譚に送るところだった。また遼東太守の公孫康は、みずから平州牧を称し、使いの韓忠に単于の印綬をもたせ、峭王に假した。峭王は、羣長をあつめ、韓忠も同席させた。

峭王は牽招に問うた。「むかし袁紹は、天子の命を受け、わたしを単于に假した。いま曹操も、天子の命を受け、わたしを真の単于に假すという。遼東も、印綬を持ってやってきた。この場合どれが正しいのか?」

牽招は答えた。「むかし袁紹は承制し、単于の印綬を、假す権限があった。その後いろいろあり、天子の命で曹操が袁紹に代わった。曹操の假す真の単于の称号が本当の天子の言葉だ。遼東はただの田舎でそのような権限を持っていると思うか?」と。

訳ここまで

印綬は皇帝が正式に決定するのですが、その配下でも特に位の高い者は出先機関として仮の印綬をする権限があったようです。

だから袁紹も曹操も公孫康もみんなめいめい印綬を持ってきたのです。

この仕組みを頭に置いた上で魏書三十巻東夷伝の文を読まなければ正しい理解はできません。

「拝仮」とは、皇帝の代わりに”会う”のではなくて、皇帝の代わりにとりあえず任命できる、正式な辞令は皇帝がまたするから、という意味のようです。そもそも皇帝自ら各地に赴くことなど基本ないので使者が他国の王に皇帝の代理人として会うことは当たり前なのです。わざわざ”仮”という漢字を付け足さなくてもわかることです。

そして卑弥呼にそのようなことができる人物とは、東夷の朝貢を管轄する帯方郡の太守弓遵以外にはいません。
梯雋は等とあるように弓遵が選んだ使者なだけなのでそのような特権は持っていないのです。

中国の史書は漢文でただ読むだけでは意味がわからず漢字の意味を調べることになりますが、ただそれだけでは誤訳してしまう可能性があるということです。
 

「拝仮」とは古代中国の皇帝とその高官との間の任命にたいする制度を説明する言葉でした。