神社に行くとたまにアラミタマやニギミタマが祀られていることがある。

神の御魂の二面性と説明されているが正直ピンと来ずそんなものなのか、という感じだった。

 

最近読んだとある本に、”古代日本人は、霊魂を二元的に考えて、本能や欲望のような物質面をつかさどる霊魂をアラミタマ(荒魂)と呼び、知徳や理性のような精神面をつかさどる霊魂をニギミタマ(和魂)といった。” とあった。

 

霊魂もひとつではなく役割分担があるようだと気付いたときにルドルフ・シュタイナーの『神智学』や『神秘学概論』の内容を思い出した。

彼によると人間は大きく分けると、肉体、生命体、霊体、自我 の四つの要素から形成されているという。

これとさきほどの古代日本人の体感を合わせると

アラミタマ=霊体

ニギミタマ=自我

と当てはめることができるように思う。

ここまで来れば理解は簡単、アラミタマやニギミタマは肉体を脱ぎ捨てた霊魂部分なだけである。

二面性と説明されたから二重人格のようなものかと思ってしまったが、そうではない。古代の日本人は人間の構成要素を現代人よりしっかり把握していた。しかしそのことがわからない後世の学者がその単語の読みからあてずっぽうで解釈し、それが定着してしまったようだ。

 

霊魂(たましい)の存在は証明が難しいのでいろんな意見はあるだろうが、無いと仮定すると説明不可のことが多く出てきてしまうような気がする。

 

この問題が解決する時代はいつ来るのだろうか?