幼稚園くらいから父親の飲食店の手伝いをしてた。

チラシ配り。餃子のタレ入れ。。

私達は、(弟と。)共働きの父と母の為に休日は基本お店か。いとこの家おばあちゃんの家

親戚の家。。

そんな感じで、友達と遊べる時間は、少しだけ。

でも、母もいっぱいいっぱいで毎日八つ当たりされた。

心の中では、怒りに満ちてたが、行く場所はなかった。

私の感覚では、物心ついた頃から仕事をしてた。

同い年のいとこも、片親でたまに手伝ってた。

今思えば、異常。

でも、当時は、それを注意する人も居なかった。

全てが矛盾してた。

母は、女の子は、要らないという謎の考えで私だけ施設に預けようと引き渡そうとしたり

いつ殺されるかわからないような危機感もあった。

全てが恐ろしかった。

ストレスしかたまらなかった。

自分をコントロールするのに精一杯だったが、その上に周りの大人に八つ当たりをされて崩壊した。

学校に行くことにも限界を感じてた。

本当のことをゆえば、殴られたりする。

殺される。

そおいう恐怖心と、永遠に戦ってた。


日本でそんなことありえるか?

と、その事実を否定しようとする人たちが居る。

でも、事実は変わらない。

人の行動には全て意味がある。

私は、いつか、逃げようと思ってた。

早く結婚するか逃げるか。

でも、父と母は、真実を言う事を嫌った。

なので、私の結婚も無視した。

結婚願望があってその相手の人は、それに気づいてた。

歳を重ねるごとに周りは気づいてた。

でも、その事を口に出してはいけなかった。

それでも、仲間が増えて、この呪いから抜け出す準備を子供ながらにしてた。

その時に、彼は亡くなった。

絶望的だった。

正直私は、あの時に死んだようなものだった。

でも、まだ。何故生きてる?

夢があったから?

その夢は、私の仕事のようなもの。

でも、悪い大人は言う。

夢は夢だと。

何かを隠したいんだろうか。

それが、見え隠れする。

揚げ足を取る大人。

何の為に?

今でもわからない。



仕事とは何なのか?

お金をもらう事。その対価をもらう事。

そおいうことだとおもう。

それで、人間は生き生きする。

こんな悲惨な人生にあっても。

見合わない対価は仕事ではない。

ボランティアだ。

間違えないで欲しい。

もらい過ぎることも騙されることも違う。

いつかそれは返ってくる。

そう信じて生きてる。