この間テレビを見ていたら松尾芭蕉の特集をやっていました。

 

いわいる芭蕉忍者説を取り扱った番組で、芭蕉は伊賀出身で江戸に出てからは上水道の改修工事の現場監督などの仕事もしていたそうです。

 

奥の細道の旅に出る前に不自然に千住に滞在していた可能性があるそうで、そこでかねてから知り合いであった伊奈家の代官屋敷に立ち寄り密命を受けていたという説です。

 

関八州の代官頭を務めていた伊奈家は河川の工事や新田の開発などの土木工事を主に担っていましたが、一方で地域の警備や治安維持、また隠密活動なども行っていたそうです。

 

芭蕉の旅行は、まだ謀反の疑いをかけられていた大大名の仙台藩や加賀藩などの調査もかねての旅行だったという説です。

 

 

一方で今私の研究している夢想願立剣術の創始者である松林無雲先生も、伊奈家と深い関りがあります。

 

芭蕉より五十歳くらい年上の松林蝙也斎もまた伊奈半十郎の食客として武蔵国の赤山で武芸を教えて暮らしており、その後仙台に剣術指南役として招かれて移住しています。

 

おそらく社会全体も戦国の気風の名残がまだあるであろう時期でしょうから、隠密達にとっては仙台は芭蕉の頃よりなお一層、絶好の疑い対象、飯のタネだったかもしれません。

 

 

そうなると松林蝙也斎隠密説もあるのでしょうか。

 

それとなく伊奈半十郎が伊達家に松林無雲の神業を見せたり伝えたりして、剣術指南役として求めさせ、伊達家の情報を流すように密命をくだしていた可能性とかはあるのでしょうか。

 

飛跳の神速、排撃の変化は人間技とは思えないとうたわれた夢想願流の武術は、そういわれてみれば忍者的な感じもしなくもありません。

 

しかし伝書にある武芸は正当な品格ある武士の扱う表芸ばかりです。

 

身分で考えればそれは当然と言えば当然ではあります。立派な仙台藩剣術指南役ですから伝えるものは当然表芸でしょう。

 

ただ捕手術は伝えていて、捕手という種目は江戸時代の早い時期には身分の低い者の修める武芸になったそうです。

この時代に夢想願流捕手術がどう捉えられていたのかはわかりませんが。

 

また流派の理念とも一致するとは思えません。

裏表のある人の扱える武芸ではないような気がします。

夢想願流はそういう人では習得しても勝てない技術だと、研究している身からすると思います。

 

一方で手裏剣術の流祖として仮託されていたりもします。

 

また魔法のような奇術を使ったという伝承もあります。

 

人々に菩薩のように慕われ門前市をなすほどの人気者で、道場のあった道は道場小路とよばれるほどの知名度であった夢想願流ですが。

 

例えばそういうエピソードもどうとるか、さぞ沢山情報が集まっただろうととるのか、そんなに目立つ事するかなととるか。

 

真相は藪の中ですが、私は個人的には諜報活動はしてなかったのではないかと思います。

 

 

トレースする気も無いですね。

※(トレースの意味は私のプロフィール欄を眉に唾をつけてご覧ください。)

 

 

私は一般人として公(おおやけ)の心で生きて社会に貢献する事が大事だと思うタイプなので、一方で信じ一方で騙すという生活スタイルを想像するだけでストレスを感じてしまいます。

 

だからあまりそういう事に関わりたく無いし、無雲先生が隠密だったら少しショックだなと思ってしまいます。