自分の本当の思いを表現することが・・

ずっと苦手でした。

 

目の前の人の気持ちを

勝手に想像してしまって

思いやったり

忖度したり・・。

 

相手との

「その場の心地よさ」

・・えせの調和?

・・を選んでしまう汗うさぎ

 

そんな自分から卒業すべく

近年・・近日・・は

「自分とつながる」

「本当の自分と調和する」

ことを目標に暮らしています。

 

でも、

それでもどうしても

自分の本当の気持ちを表現したり

自分らしいと感じられる行動を

選んだ後にどこからとも無く

湧いてくる恐怖心・・・

 

気になってしまうあせる

人が私の言葉をどう受け取ったのか・・。

相手を不快にさせてはいないだろうか・・。

嫌われてはいないだろうか・・。

 

そんな時に

ハイヤーセルフの意識につながって

もらったアドバイスです。

 

ご紹介します。

 

 

星人の気持ちを想像するのは

小窓から世界のすべてを想像するようなものです星

 

小窓を開けて外の世界のすべてを見ることはできませんね。

 

あなたが気にしているのは

小窓を開けて相手の世界の全てを

想像しているようなものなのです。

 

あなたの目の前に開かれた

小さな小さな窓の隙間から

その人の心を覗いて

きっとこの人は

このように思ってるに違いない。

きっとこのような景色が見えているから

きっとこのように思っているに違いない。

世界はこのようにできているに違いない・・

というふうに、

小さな小さな窓からのぞいて

他の人の気持ちを想像しているに過ぎません。

 

しかも

その景色というものは、

その瞬間その瞬間に

移ろいゆくものなのです。

 

その窓の向こうの景色というものは

固定された静止画ではありません。

様々な時間帯・・時間帯によって、

動く・・流動的に動いている景色なのです。

 

その動いている

流動的な景色の一部分を切り取って

あなたはあなたが見える範囲で、

相手の気持ちを想像しているというのが、

あなたの普段日頃行っている忖度だったり、

想像だったりするのです。

 

その意味において

あなたが見えている景色

というのは、本当に小さいのだし、

断片的だと言えるのです。

 

あなたがいくら

一生懸命熱心に

相手の気持ちを思いやり、

相手の気持ちを忖度して、

相手の気持ちは

きっとこうに違いないと

小窓から見えた景色を通して

相手の気持ちを想像したところで、

相手の気持ちはその瞬間、

もしかしてその瞬間

もしかしたら合っているかもしれない・・

あなたの想像通りの瞬間が

あったかもしれないけれど、

その5秒後にはまた

全然違う認識になっている

可能性だってあるのです。

 

その流動的な景色の

向こうの流れに沿って、

あなたの思考をいちいち

流動的にする事は

できないことなのです。

 

あなたにできる事は

その景色の向こうの動きに

心を沿わせることではなく、

相手の心に何を届けたいのか、

自分の心の窓を広げて、

その窓の景色の中に

何を見るかということなのです。

 

あなたは自分の心の中を

見ることができます。

他人の心の中は、

小さな小さな小窓・・

もっと言えば小さな穴から

外を見ているだけに過ぎないのです。

そこに心をいくら沿わせたところで

相手の心の中全てが

見えるわけでは無いのです。

 

けれど、一方、

あなたはご自分の心の中は

きちんと覗くことができますね。

そしてその時、

行動起こしたときの動機・・

心の柱というものを

自分自身は知ることができますね。

そこの部分を熱心に

愛を込めるということを

行ってみて下さい。

 

その瞬間あなたは

自分の心の窓の中に何を見ますか?

景色の中に愛を見ますか?

その景色の中が愛だと信じられるのなら

その窓を開いて、

その心の中の景色を他人に見せてください。

 

そして他人から見ると、

そのあなたの窓は全開であっても、

やはりそれは小窓にしか見えないのです。

そしてあなたの小窓の中に、

相手の人は何を見たとしても、

それはあなたの責任では無いのです。

 

あなたにできる事は、

あなたの心の中の窓を開ける瞬間、

その中に開く景色、届けようとする、

映そうとする景色が愛であるこ

そこだけが大切です。

 

そしてその

愛であると信じて見せた景色の中に

相手が何を見るかは

本当に相手の問題だし、

相手の心の状態にもよるので、

そしてあなたもその瞬間

愛として届けたものとしても、

その5秒後にはまた

違う感情がわいていたり、

こちらはこちらで

流動的に心の中が思いというのは

動いていってしまう…

移りゆくものなのです。

 

どんな感情も一色

…ベタ塗りではありませんね

悲しみと一言で言っても

悲しいだけではなく

かすかな希望が

その中には湧いていたり、

苦しみが入っていたり、

喜びが入っていたり、

様々なグラデーションの景色が

その窓の中を通りますね。

 

ですから、

その瞬間の思いというものを

断片的に、お互いに見合って

想像しあって、忖度しあって、

届け合っているというのが、

あなたたちの世界の

コミニケーションなのです。

 

ですからもうそこは

お互いに信頼し合うことしかできないのです。

この人の言っていることなのだから、

きっと愛から行動してくれているだろう。

と、相手に思ってもらえたらラッキーだし、

また自分自身の事も、

愛情から熱心に行動しているのだから、

それはきっと相手は

愛だと取ってくれるだろうと

信じることしかできないのです。

それ以上のことをお互いにできないのです。

 

なぜなら

あなたも相手も自由だからです。

相手のことをどのように捉えるか、

そしてあなたのことを

相手がどう捉えるかは

あくまでも相手の問題で自由だからです。

その自由のある世界の中に

あなたは住んでいるということが、

人生の中の喜びだということに

気がついてください。

 

あなたは、

お互いに自分の心の中を

忖度しあったりせずに、

お互いに愛だということに気づきあって、

お互いが愛の存在なのだから、

お互い許し合える世界が来たら良いのに・・

という風に望んでいますね。

全ての人がお互いの

悪気のないところに気持ちを添わせて

お互いが仲良くなって、

心と心の触れ合いが起きて、

いつもお互いがお互いの幸せを願いながら、

心と心を通わせあって、

そして応援しあえる世の中

というのを望んできたと言えるのです。

 

けれど、それは

残念ながら地球上では無理なことなのです。

 

なぜなら人と人は違うから面白いからです。

違いがある世の中に降り立ちたくて

地球に降りて行っているからです

その違いを楽しむため、

そこで自分というものの認識を持ち、

その違いの中で自分というものの存在、

自分というもの存在の確かさを知り、

そして自分という人間の不完全さを知り、

そしてその違いの中で

様々な喜怒哀楽の喜びを感じるために

地球に降りて行っているという点において

全ての人が同調して同じ動きになる事は無いのです。

同じ感覚になることもないのです。

それは私たちの世界で、

愛しかない世界に戻ってくれば、

すぐにでも可能な世界に私たちが住んでいるからです。

それはつまらないことなのです。

全体がひとつだった時…

それは一人だということなのです。

すべての動きが同じなら、

それはひとつだということなのです。

ひとつの中から分離を味わいたくて、

地球に降りて行っているのですから、

わざわざ全員が統合された

世の中に戻ることを希望する

というのは無理なことなのです。

 

けれどわかります。

あなたがそう思う気持ちもわかります。

全員がひとつだったときの感覚を強く、

心の中に宿しているために

不協和が心地悪いのです。

気持ち悪いのです。

相手に認めてもらえない、

相手と協調しあえない、

相手と寄り添いあえない、

心と心を繋げないと言う感覚が

ものすごく、あなたの心の中に

負荷を持たせるのです。

心地悪いと言う点において、

それはあなたの愛の深さだと言えるのです。

愛の大きさだと言えるのです。

記憶の確かさ・・

自分は愛だという記憶の確かさだと言えるのです。

それは地球において

違いのある暮らしの中において、

時として苦しみを生むことを

私たちはよく分かっています。

 

けれどそこであえて私たちは

あなたにお伝えしたいことが

ひとつあります。

 

それはあなたにとって

魂の目的だということです。

あなたはその違いを味わいたくて、

地球に降りて行っていたのです。

そしてその違いのある世界の中においても、

そのひとつだったときの記憶を

強く宿すあなたとして

そのままの姿で地球に降り立ち、

そして愛の柱を立てて

地球に根を下ろし、

愛を灯したいというのが

あなたの希望だったと言えるのです。

私が電波塔になって

光を灯すから地上に明かりを灯して

地球を明るく照らしたい、

心の暗闇を抱え辛い気持ちでいる人・・

地球に降り立ってしまったけれど、

地球に居心地の悪さに苦しんでいる人たちにとって、

愛と光にいつか戻れるよという、

その電波塔になりたい、

灯りをともしたい、

というのがあなたの魂の願いだったと言えるのです。

 

(2022)