ご訪問ありがとうございます虹

 

最近時折耳にする

「マウントを取る」っていう言葉・・

 

正直苦手です・・。

 

この言葉を聞くと思うんです。

 

自分にとっての「喜び」って

表現しちゃいけないのかな?

自慢しているって取られちゃうのかな?

人を傷つけちゃうのかな?えー?

って・・。

 

でも‥

私は嬉しいことがあったら表現したいし、

相手にも表現してもらいたい。

そして互いに喜びを分かち合えるような・・

そんな関係を結んで生きて行きたい・・・。

 

どうしたらいいの?ぐすん

 

マウントを取るって言うことと

自分の喜びを表現するって

どう違うの????

 

今回はそのことについて

ハイヤーセルフの意識につながって聞いてみました。

ご紹介します。

 

星自分の喜びを楽しく表現することをためらわないで下さい。星

 

自分の優位性を

相手に知って欲しい

認識して欲しいという

意図を含んでいるのが

マウンティングです。

 

一方、

自分に良いことがあった・・

自分にこんなに嬉しいことある・・

優劣ではなく、

 

自分の喜びをただ表現する

 

それはそのような意図を含みません

 

そこにはエネルギー的に明確な違いがあるのです。

 

発信者の方にそのような意図があった場合

それは相手に対してのマウンティングということになります。

 

けれど意図せずマウンティングと

受け取られてしまうこともあります。

 

それは相手がその出来事において

その人なりのコンプレックスを抱えていた場合です。

 

例えばある出来事に対して

その人がひどく落ち込んでいる出来事が

あったとします。

 

そのことに対して、

ただ、もう一方の話し手の人が

そのことに・・同じ内容について

自分は近日このように素敵なことがあったのだ

こんなに良い目に遭ったのだという話をしたとします。

 

するとそこには

受け取り手の方からすると

様々な思いが生まれるものなのです。

 

自分もそのようになりたかったのになれなくて、

うらやましいなあ・・

という風にとる人もいます。

また自分もそのようになりたいのに、なれなくて

悲しい。

という風にとる人もいます。

また、

これは自分への当てつけなのではないか?

このようなことを望んでいる自分への当てつけ・・

「私はこのようになれたのよ」という

マウントを取りにかかって来ているのではないか・・?

という風に感じる人もいるということなのです。

 

発する方からしたらエネルギーは

全く違いますが、

受け取る人の状態によっても届くものが違うのです。

 

同じものを発射しても・・

同じ言葉を放出しても

受け取る側のその時の

エネルギー状態によって

その言葉の受け取られ方・・

その言葉の形

というのはいかようにも変わってしまうものなのです。

 

ですから、

発信する側の意図として

相手にマウントを取りたい。

自分の優位性を分からせたいという

意図を含まない限り

発信者はそこに責任を持つことは出来ません。

 

どんなに相手にマウントを取るつもりはなかったのだ

自分の喜びを表現しただけなのだという本当に純粋に

それだけ・・喜びだけを表現するエネルギーで

相手にそれを伝えたところで

受け取り手の問題もあるからです。

 

ですから

マウントを取るとか取らないとか

喜びを表現するとかいう話を考えたときに

視点の持ち方を、

そこを考える必要があるのです。

 

一義的に考えることは出来ないのです。

 

発信する側の問題としてまず一つ

そこに相手に自分の優位性を分かって欲しい。

理解して欲しいという意図を放つかどうかという一点。

 

そしてもう一つ受け取り手の状態・・

どのような状態でその話を受け取れる心の状態にあるか

という二つの面があるのです。

 

どちらか一方の問題でこのことを語ることは出来ないのです。

 

両方がそのことに対して

同じ内容に対して

どちらもマウントを取りたいという意図がなく

発信者にマウントを取りたいという意図がなく

そしてまた同じ内容について受信する側の方に何も

コンプレックスがない場合

そこに葛藤は生まれません。

 

そこにそのようなエネルギーの違いというもの・・

ひずみのようなものは生まれないのです。

 

発信する側の人の問題として

このような問題を語られることが多いですが

受け取る側の人の心の状態というものも

大きくかかわってくるものなのです。

 

ですからお互いの心の状態を

抜きにしてこの話を語ることは出来ないのです。

 

どちらか一方のせいで・・

という問題ではないのです。

 

なぜなら発信する側に

「私の方が優位だということを分かっておいてね」

という意図が明確にあった場合でも

受信する側の人が、

そこに対して何の思い入れもない場合

そこに何も・・・一点の曇りもなく

うらやましさも何も感じない場合、

素直に、

「それは良かったね。すごいね。おめでとう♪」

といったような反応になるからです。

 

発信する側の人からすれば

肩透かしにあったような状態になってしまうのです。

 

どんなに明確な意図を持って

相手に自分の優位性を伝えようとして

発信者が発信した場合でも

受信者がそのようなことに対して、

なんの引っ掛かり・・

心の引っ掛かりのようなものがそこに無い場合

そこは全く気にならず、

単純に良かったことを意図的に発表されている・・という風に

誤解して受け取ってしまって、

そこに何の問題も生まれない

ということもまた起きてくるわけなのです。

 

ですからあなたがお尋ねの

マウントを取るということと

喜びを表現するのはどう違うのかということへのお答えは

以上のようになります。

 

どちらか一方だけの問題として語られがちな問題ですが

お互いの明確な心の状態によって

そのようなことが起きうるという面において

どちらか一方の話だけ・・というわけではないのです。

 

両方の思惑・・

両方の心の状態・・

相性・・受け取り方

心のコンディションによって

それらはいかようにも変わって行くものだからです。

 

ですからあなたに出来ることは

相手の心の状態に思いやりを示すことは

もちろん大切です。

 

思いやりを示した中で

自分に出来る最大の、

自分で愛だと思う方を選びながら

相手にそれを伝える・・

自分の喜びを表現したくなったのなら

表現して構いません。

 

自分にはこのような嬉しいことがあったんだよ

と、表現しても構いません。

 

あなたたちの世界で言うところの

思いやりというものは必要でしょう。

 

相手がAという出来事について

ひどく落ち込んでいる日に

Aということについての自分の喜びを表現することが

愛情だとはあなたは思わないでしょう。

 

そのような思いやりは

もちろんかけて構いません。

必要なことだと言えるでしょう。

あなたたちの世界では必要なことだと思うでしょう。

そのようにして

相手を思いやりながら話すことは大切です。

けれど

そこに必要以上の心がけ・・

必要以上の忖度はいりません。

 

自分が愛情だと思う範囲で

自分が喜びを感じてそれを楽しく表現することを

ためらわないでください。

 

あなたは素直に心の喜びを表現し

素直に喜びを表現していったときに

そのあなたの表現に惹かれる人が

あなたの周りに集まって来てくれるからです。

 

いつかお話したとおり、

まだそれを受け取りたくない・・

まだそれを遠くに感じる人は

あなたのもとから去って行ってしまいます。

 

確かにそれは悲しいことです。

 

自分はただ喜び、心の内を素直に表現しただけなのに

そのことによって、相手が自分の影を見てしまって

その言葉によって自分の心の影を

結果的に映すことになってしまってことによって、

あなたは相手を傷つけてしまったというように考える必要はありません。

 

なぜなら相手の人が

自分の心の中の暗闇に気づくきっかけを与えたとも言えるからです。

 

もちろんそれは意図的であってはなりません。

 

それは意図的であった場合、それを

さきほどの言葉で言うならマウントを取ったということになって行くのです。

 

自分の心の喜びを素直に表現した時に

相手がそのことによって

自分が本当は抱えている心の闇やコンプレックスに

傷がついてしまう(気が付いてしまう?)

ということはどうしても避けられません。

 

それを避けようとすることは

誰とも交流を持たないということになってしまいます。

 

たとえ誰とも交流を持たなかったとしても

あなたはそれでも他人に影響を与えるのです。

 

あなたという人間が

元気にこの世に存在していること・・

この世に生きていることによって

その姿を見るだけで傷つく人はいるのです。

 

残念ですがいるのです。

 

あなたという人間が

喜びに触れるだけで

それを「痛い」と感じる人は世界中を探せば

いくらでもいるのです。

 

日本に住むことで

平和な国に安全に暮らしている

その姿に心をかき乱されるような思いになる

戦闘地区に暮らす人たちというのも

地球上にはいるのです。

 

ただ存在するだけで

相手の心に何かしら・・

自分の持ってないもの・・

自分の「負」への思いを抱かせてしまう・・

それはお互い様なのです。

 

ですから

他人の反応に視線を向けていっている以上

その辺のことを考え続ける以上

あなたの心の中から重さが消えることはありません。

 

そこにいくらあなたが心を添わせていっても

あなたが万能に、誰も傷つけない存在になど

なりようがないのです。

 

でもそれは悲しいことではありません。

 

同時にあなたは存在することによって

たくさんの喜びを人にもたらすことが出来るからです。

 

あなたの発する愛に満ちた言葉

あなたの発する笑顔

あなたの思いやりに触れて

あなたの輝きに触れて

心を温かくする人も同時にたくさん

この世の中にはいるのです。

 

あなたが幸せなまなざし、

愛に満ちたまなざしで

この世に存在することで

あなたから放射される愛情のエネルギーは

この地球上を温めます。

 

そのような意味において

一人一人の愛の貢献というのは

決して小さくは無いのです。

 

ですから悲しく思う必要はありません。

 

むしろ喜びを感じてください。

生きていることに、

この世に存在することの尊さに気づいて

心の喜びに従って

愛だと思う方を選び続けて生きて行って下さい。

 

それしか出来ませんし、

それ以上にあなたがするべきことなど

何一つないのですヒマワリ

 

(2021)