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もっと自分の心の中を軽くして

もっと自分の周波数を上げていきたい。

 

そのためには

長年の習慣でついつい行ってしまっている

物事や人へのジャッジを手放そう!

と試みていた私です。

(並木良和さんのご著書を拝読)

 

でも、ついつい物事を見聞きした時に

 

「こういうのって良くないと思う・・」とか

「なんかこういうことって嫌だなあもやもや・・・」など、

えー?

マイナスな思いが心の中から湧いてくることがありました。

 

その度に

「ああ!またやっちゃった!こういうのをもうやめたいのに・・」

ぐすん

 

って反省していました。

 

そんな時にハイヤーセルフの意識につながったある日。

 

せっかくだけどあなたのしていることは

目覚めを加速させるための行いに

逆行しちゃってますよ。

 

・・というお話が届いたんです。

 

ご紹介します。

 

星「ポジティブな感想だけを持つ自分」

  を目指す必要はありません星

 

近日あなたは

自分の心の中から

様々な物事や人への

ジャッジを手放そう

と試みていますね。

 

心の中に浮かぶ様々な思いを制御し、

そのように感じないように・・と

自分を制御していますね。

 

けれどそのことが

かえって自分を重たくしていることに

気づいてください。

 

なぜなら

そのような思考が浮かんだ時に

あなたの中に

次に浮かぶのは

自己否定だからです。

 

またいつもの癖でこのように考えてしまった。

また人をジャッジしてしまった。

白黒つけてしまった・・・アセアセ汗

 

と、あなたは自分のことを責めています。

 

それを手放していって下さい。

 

あなたが地球に生きている以上、

誰かに何かを感じるということは無くなってはいきません。

 

その頻度等は確かに減って行くでしょう。

 

けれどあなたの中から

様々な・・ジャッジ・・ジャッジというよりは

様々な感想が無くなることはありません。

 

何かの事象に対して

「私はこう思うなあ・・・」

という風に考える・感じるということと

そこにジャッジを加えるということが

あなたの中で同率に・・

同じように結び付けられてしまっているところを

手放していって下さい。

 

あなたが物事に対して

感想を持つことと

そのことについて

これが正しいのに・・

これが間違っている・・と

それをジャッジすることは

イコールではありません。

 

世の中に起きている様々な出来ごとに関して

私はこう感じる・・こう思った

と、感想を持つことは構いません。

 

その感想の中に

私はこれは嫌だなあ・・

これは不快だなあ・・という感想があってももちろん構いません。

 

全てのことに自分が何も感じなくなることを

目標にしないでください。

 

あなた自身が

この地球を味わっているのですから

様々な出来事に関して

快・不快

幸せを感じる・感じない

 

様々な感想があってもちろん良いのです。

 

人の行いを見て

自分だったらそうしない。

自分だったらそうは思わない。

 

等・・自分なりの感想が無くなることを目指さないでください。

 

あなたが“ジャッジをしない自分”

を目指していることは分かっています。

 

あなたの

ジャッジをしない・・

白黒つけない自分になりたい。

物事を中立にとらえられる自分になりたいと思っている

真摯な姿勢は伝わってきています。

 

もちろんそのこは分かっています。

 

けれど、

ジャッジしないということと

あなた自身が感想を持たないということは

イコールではないのです。

 

ジャッジするということはそこに

正しさを持ち込むということなのです。

 

私はこう感じる。

だからこそこれは間違っている。

私の感じていることがあっているのだ。

私の言うことが正しい・・・。

 

という・・

 

そこに

白黒のような・・

善悪のような感想を挟まなければ

そこに重さは生まれないのです。

 

ただ

「私はこのように感じる」

という風に思う。

 

そこまでは自分の中に許してください。

 

それを感じることそのものを

制御する必要はありません。

 

なぜなら人は

社会的に起こる出来事・・

目の前に映る出来事を通して

自分というものをとらえているからです。

 

あなたは

様々な物事を見聞きすることによって

 

私という人間はこれを好きだと感じる。

私という人間はこれをいやだと感じる。

私という人間はこれを良いと感じる。

 

といったように・・

 

「私という実像」をとらえるために・・

そのような出来事を通して自分というものを捉えていく・・・

 

それがあなたの世界で生きるところの

自分像のつかみ方だからです。

 

ですから構いません。

 

様々な人の意見を聞き、

様々なものを見聞きし、

「自分がどう感じるのか?」

という風にとらえていって構いません。

 

その中に

これは快適だけど

これは不快。

好きではない。

という感想がもちろんあって構いません。

 

今のように様々な出来事を見聞きしたときに

「この人の考え方は不快だわ」

「私はそうは思わない」

という風に感じることを

「ああ私はまたこのように不快だという風に

 とらえてしまった!アセアセあせる

自分の感じ方が悪いのだ!

 

・・という風にいちいち捉えないようにしてください。

 

そして

自分を責めないようにしてください。

 

「私はこのようなことは不快だと感じるのだなあ・・。」

で、終わり。

 

で良いのです。

 

だからこの人は間違っている。

だからこの人はダメな人なのだ。

だからこの人のことが嫌いだとか・・

この人はいけないだとか‥間違っている・・

のような・・

そこに正しさや善悪のようなジャッジを持ち込んで

その人を弾劾するような発想に入って行かなければ良いのです。

 

私はこのような出来事を不快だと感じるな。

私はこの人の考え方とは違うな。

というところで終われば良いのです。

 

今のように

何もかも自分の感じることそのものを制御して

何も感じない・・・

様々な物事を見聞きしたときに

ポジティブな発想にばかりとらえられる自分を目指す

姿勢を改めていって下さい。

 

それが悪いわけではありません。

 

あなたがそれを楽しみたいのなら

もちろん続けていって構いません。

 

けれどそのことによって

あなたが目覚めを加速させていきたいということに対して

逆行していることになってしまっているのです。

 

重さを生んでしまっています。

 

またこのようなことを考えてしまった。

またこのように悪い方向に取ってしまった・・

という風にあなたの中からそのような発想が浮かんでしまって

自己否定に入ってしまう・・・

 

その瞬間の重さがあなたを沈めるものに

なってしまっているものになっていることに

気づいてください。

 

もっと軽やかでいて良いのです。

どのような感じ方をしても構いません。

 

それを自分という人間・・

自分像をつかむために使ってください。

 

私はこのような感じ方はいやだなあ・・。

このような意見には賛同できないなあ・・・。

と感じていって下さい。

 

そして様々な出来事に直面する中で

不快だと感じて重さを感じることがあったら

手放していって下さい。

 

何かそこに

不満感・不足感・怒り・罪悪感・無価値感・・といった

自分自身を沈めるような思いが、

様々な出来事の中で浮かんだ時に手放していく

という方向に使えばよいだけのことなのです。

 

そこに自己批判・・・

このような考えてしまった自分はいけない

と、自分を批判するという発想・・癖を手放していって下さい。

 

どんな感じ方をしても構いません。

 

自分にとって不快だと感じることがあって

それが重しになってしまう・・という出来事であれば

それをきっかけにして自分の中からそれを

手放していって下さい。

 

様々な感じ方そのものを否定することはありません。

 

どのような感じ方をしても良いのです。

 

それらを全て、自分像をつかむために使ってください。

 

感じなくなることを・・感想を持たなくなること・・

ポジティブな感想だけを持つような自分になることを目指そうとする

必要はありません。

 

もっと楽しんでいって下さい。

 

全ての出来事に対して

もっと軽やかに自分を許して進んでいって下さい。