自分を好きになってきたことで

ハイヤーセルフとつながれるようになったと

確信しています。

 

ハイヤーセルフに教えてもらった

自分を好きになる方法をご紹介します。

 

自分を好きになる方法①

 

虹自分を好きになっていいという許可を出してください虹

 

自分で自分を好きになるのに、

理由は要りません。

自分で自分を好きになってよいという

許可を自分に出すことが大切です。

 

人は誰も大人になるほど、

自分の内側と外側の世界を比較するようになります。

 

自分の中を見つめて、外と比べて、

自分にはあれが足りない。これが足りない。

人よりも、ちょっとこういうところが得意だ・・

などと比較するようになります。

 

自分と他人を比較して、自分というものの像をつかむようになります。

 

そんなことを繰り返していくうちに、

だんだん人は

これが出来なければいけない。

こうでなくてはいけない。

こういう姿でありたいという、

自分へ『望む姿』というものを持つようになります。

 

あなたの場合もそうでした。

あなたはかつて自分のことを

立派な人間にならなければいけない。

特に経済的に自立しなければならない。

働かなければならならない。

自分でお金を生み出さなければならない。

そうでなければ人として価値が無い。

と自分のことを縛ってきました。

あなたが比較したのは働いている人、

自分の力で収入を得ている人。

それに比べて自分社会貢献していない。

誰かの役にたっていない。

という点において、

自分には力が無い。

自分は未熟であるという認識の上に立ちました。

 

そのように人は皆それぞれ

自分の価値観や経験値にしたがって、

他人と自分を比べて、

自分はあそこが足りない。

ここが足りない。まだ未熟である・・・という風に、

社会的な尺度から、

自分という人間を、

自分で作ったものさしに当てはめて、

自分はそれに、

自分の要求水準を満たしているかどうか・

もう少しあそこが、ここが足りない・・

もう少し伸ばさなければ・・という風に、

自分の理想の姿に自分というものを合わせてしまいます。

 

それをすることによって、

自分という人間が、

まだ十分ではない。

至っていない。

すばらしい人間にはなりきれていない。

自分で作った理想にそぐわない。

なりきれていない・・まだまだ至らない人間だ

という見方で自分のことを見るようになってしまいます。

 

それはひとつ見方を変えれば

向上心ともいえます。

けれど、向上心というのは

自分という存在のあり方に満足し、納得していて、

さらに自分という人間を前進させ、進歩させるという、

あらかじめ自分という人間の価値を見出した上で、

さらなる向上をめざして良くなろうとするのが向上心です。

 

けれど、自分がこうならなければならない。

こうありたいのに・・こうでなければならないのに、

まだこうなっていないという、

自分に対しての無価値感から来る、

自分への欠乏感から来る焦りを伴った向上心は

先ほどの純粋な向上心とは違います。

それは、自分の無価値感から突き動かされた態度だといえます。

 

そのように自分の姿を間違って捉えてしまうと、

人は自分のことを無価値だと感じるようになり、

そしてやがては自分のことを愛せなくなってしまいます。

なぜなら自分は自分が望むような基準をまだ満たしていない。

到達していないから、

そのままの姿で自分を愛することは出来ない

という風に決めてしまうのです。

 

そのことによって人は、

欠乏感からの努力をするようになってしまいます。

 

そうすると他人の目を意識することになります。

 

もともと出発点が自分と他人を比べて

まだここが足りないと、

不足を見出したのですから、

自分が向上していく姿も

自分と他人を照らし合わせて、

これができるようになったけれど、

まだこれが足りない。といった風に・・・

そのやり方では、

いつまでたっても欠乏感を埋めることが出来ません。

 

なぜなら、

どこまで行っても上には上がいるからです。

自分がこうなったら満足できる・・という枠が

どんどん広がっていってしまうからです。

 

自分が成長していることを人と比べることで、

満足せずに、いつまでたっても、

あの人と比べてこれが・・あれが・・足りないという

「欠乏感から突き動かされて成長しようとする他人軸」を

やめることが出来ないうちは、

自分との競争に勝つことは出来ません。

自分との競争に打ち勝てない限り、

まだ自分は負けている。

まだ人生の中で成功していない。

まだ自分で自分を愛せるほど

自分は豊かに成長させることが出来ていない。

という不足感に陥ってしまいます。

 

そのことによって自分で自分を愛せなくなってしまうのです。

 

ですからそのようなことをふまえて言えることは

自分で自分を愛することに、何も許可は要らないということです。

 

誰の許可も要らないし、

他人と自分を比べてはいけないということです。

 

他人と比べて不足感という目線を自分に向けてしまう以上、

どこまでいっても充足感を感じるはありません。

なぜなら、自分がたとえ向上して望んでいた姿になったとしても

またそこに到達する頃には、次の目標が見えてしまっているからです。

決して満足できるようにはならないからです。

 

結婚を望んでいる人が結婚したら、

次に出産など次の幸せを求めてしまうのと似ています。

その時になれば、その次の目標が出来てしまいます。

子供が生まれれば、またその子が、自分の望むように・・

成長したら、小学生なら中学生なら高校生・・

その先を未来を心配したり願ってしまうのと同じように、

自分の向上心もどんどん他人との比較の中では、

いつまでたっても「これでOK。」「これで満足」

という満足点には至らないからです。

 

そのいたちごっこのような向上心をおいかけていっても、

いつまでたっても自分を愛していいという許可に

たどり着くことは出来ません。

 

スーパーマンにでもなって

特別な大きな出来事でも起きないかぎり、

よしこれで大満足ということはおきないのです。

たとえスーパーマンになったとしても

世界中を救えなかったとしたら、それはそれで、

自分が世界一のスーパーマンにはなれていない。

もっと頑張らなくてはと思うに違いないんです。

 

ですからどこかの時点で、

不完全なままの自分を受け入れる必要があります。

 

まだ自分は自分の望むような自分になっていないけれど、

でも、このままでも悪くないのではないかという

合意点がどこかで必要です。

 

それにはまず、

満足のいく自分で無いけれども、

自分で自分を好きになって良いという許可を

自分の中におろしてあげることが必要です。

 

まだ自分の望むような自分になれていないけれど、

でも、もう私は自分を好きになっていいんだという許可を

自分に出すことです。

 

そしていつまでも、

「これで最高!もうこれで自分を愛してもいい!」

なんていう日は来ないことを・・

自分が自分に許可をおろさない限り、

そんな日はやってこないのだと知ることが大切です。

 

自分で自分を愛する許可は自分が出すのです。

 

誰もそれをおろしてはくれません。

ある日、誰かがそばに来て、隣にたって肩をたたいて

「ねえねえ、あなたはもうすばらしいから、

あなたはあなたの価値に気がついて

あなたは自分で自分のことを愛する許可を出していいよ」

と教えてくれる日は永遠にやってきません。

 

自分自分の良さに気がついて、

私はもうこのままで自分を愛していいのだという風に

自分に合格点を出すしかないんです。

そしてそれをしてもいいんです。

 

自分の中の核となるような・・

これだけはいいところだというところを見つけて

自分で自分を愛していいという許可を出すことが大切です。

自分で出すしかありません。

 

これだけは守ろう・・という合意点を見つけて、

それさえ守れたらもう自分で自分を愛していいのだと

決めることが大切です。

 

自分で決めない限り、自分に許可を下ろせる日はきません。

 

これさえ守っていれば・・これさえ出来れば・・

という合意点を決めることです。

これは自分ですぐに出来ることです。

 

あれも足りない。

これも足りない。

でもこれだけは良い。

ここだけは守っていこう。

という良いところを見つけることです。

自分なりの着地点を見つけることです。

 

自分のよさなんか一個も見つけられない・・

そんなことは無いはずです。

みんな人間、いいところもあれば悪いところもある。

天使と悪魔の心があるんです。

完全に100パーセント天使の心になれないから

自分のことを愛してはいけない・・

なんて思っているのだったら

一生愛する許可が自分にだせないままになってしまいます。

 

そもそも未熟だから生きているんです。

魂の修行です。

 

自分に許可を出してあげるのは自分です。

誰もあなたに

『もう愛していいよ。

あなたは自分を愛する価値のある人間だよ』

と言いに来てはくれません。