(もうひとつのブログより)
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先日、大学時代の先輩のお墓参りに行きました。
亡くなってから10年と少しが経ちました。
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一つ上のその先輩は、
私の研究室と仲が良かった隣りの研究室にいました。
いつも遅くまで実験をしていて、
彼女は寂しがらないのか? もしかして彼女はいないのか?
などと当初は秘かに心配するくらい(←余計なお世話)でした。
私もトロトロと実験をして遅くなった日は一緒に駐車場まで帰り、
駐車場までのほんの数分のお喋りをしていた記憶があります。
その先輩は、私からすると
最初はどう絡んでいいのかわからないタイプの人でした。
普通にお話もするし、機会があれば飲みに行くし、なのですが、
私にとっては人懐っこい感じの人ではなかったような気がします。
どこでもう一歩踏み込んでいいか分からないような感じがしました。
この人はどうやって人に心を許すんだろう?と思ったこともあります。
当時の私はいろんなことに焦っていて、
自分でも何をどうしていいかわからなくて、
でもがむしゃらに目の前に出てくることを
バッサバッサとなぎ倒して進んでいました。
そんな私のことを危なっかしくて見ていられない、
という人もいました。
そんな中、先輩は常に同じテンションで、
これ以上は踏み込まないというスタンスの優しさで、
いろんなことを受け容れてくれていたような気がします。
その後2年という歳月を同じ空間で過ごし、
私の認識は、いま一歩よく分からないけど、
優しい先輩だということに変わり、そして先輩は
一足先に卒業していきました。
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就職して何年か経ったある秋の夜、
学生時代の友人が泣きながら電話をしてきて、
「先輩が亡くなりました」と言いました。
何の前触れもなく、突然先輩は亡くなってしまった
とのことでした。
すぐには信じられませんでしたが、
少しの後、「そっか…」と思いました。
最後まで本当に読めない人だと思うことで、
どこか行き場のない哀しみを落ちつけました。
その後のお葬式でもあまり泣いた記憶がありません。
ご両親の姿を見ていたら、さすがに辛くなりましたが、
泣きじゃくった記憶がありません。
友人も、先輩のお友達も、他の先輩も、
それはそれは涙が止まらないようでした。
けれど私は、ただ「ああ、先輩とはもう会えないんだな」と思いました。
寂しく哀しいけれども、もうこれは仕方がないことなんだと。
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それから10年と少しが過ぎて、
なぜかふと先輩のお墓参りに行きたくなりました。
忘れてしまったお墓の場所を教えてもらおうと
学生時代の友人に連絡を取ったところ、
その友人は他の人にも声をかけてくれて、
数人でお参りすることになりました。
そして先輩のお墓がある街まで、電車に揺られて向かう途中、
もう薄れてしまった学生時代の記憶が
少しずつ湧いてきました。
お酒が好きだったな、煙草も吸ってたな、
そうそう、よく「なんでやねん!」って突っ込んでた(でも突っ込みが甘かった)、
どうしてか椅子に座ってるイメージが強いな、
などなど。
そうしたら、「相談するなら、君だろう」と先輩が言った一言が
思い出されました。
何の話をしていてそんな言葉が出てきたのか、
もう思い出せないのですが、
その言葉と、先輩の笑顔が浮かんできて、
初めて私は先輩を思ってじんわり涙が出てきました。
何か恋愛に悩んでいたのかもしれないし、
これから就職することへの不安も少しあったのかもしれない。
もしくは深く考えてなくて、たまたま出てきた言葉なのかもしれない。
でも捉えどころがないと思っていた先輩から、その一言をもらい、
その瞬間「あぁ、ちゃんと話をしてるな」という感覚がありました。
それが私はとても嬉しかったです。
お墓の前で、私がそれを嬉しく思ったことを伝えました。
先輩が何を思っていたのか、何を感じていたのかなんて
考えてもわからないから、自分のことをただ伝えました。
「ありがとうございました。嬉しかったです。」
そして、「いろんなことがあったけど、楽しかったですね」と。
そしたら、先輩の照れたような困ったような笑顔が
浮かんできました。
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秋の透き通るような空を見ると、
ふとその先輩のことを思い出すことがあります。
先輩にとって、彼なりの素敵な人生であったことを
今でも願っています。
本日の読書
「コンビニたそがれ堂 奇跡の招待状」 村山 早紀
